後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東日本大震災を忘れないための東京都医師会の感動的な広告

2013年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

3月11日の読売新聞の夕刊に東京都医師会が東日本大震災を決して忘れないという大きな、そして感動的な広告を10ページにもわたって掲載しました。

何故、感動的だかを説明させて下さい。

その広告は大きな白い余白の中に少しだけの文章や写真があるだけなのです。余白だけの広告に度肝が抜かれ、そしてその余白の裏にある悲劇の大きさ、深さに胸がつまるのです。

大新聞の10ページ(半分のページや四分の一ページも混えて)もの紙面を買い切った東京都医師会の深い気持ちがヒシヒシと伝わります。

余白の中に書かれた小さな文章を列記します。

「体の傷は癒えても、心はまだ、震災のさなかにいる。

・・・・そんな人々がいることを私たちは忘れません。」

「ママは天使になって、天国へ行ったんだって」。

幼い患者のつぶやきに、私は何と言ってやれば良かったのか。

今でもふと考えるんです。

街はいつか復興する。人々はいつか笑顔を取り戻す。

その「いつか」が来るまで、ぼくは被災した方々を支え続けたい。

・・・・まだまだしなければならないことがある。

私たちはまだまだスタートしたばかりだと思っています。

ーーーーー東京都医師会 会長 野中 博

下にそのような広告の紙面を再現してみました。

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・大きな余白の真ん中に写真と文章。

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・大きな余白の右下にタンポポの花

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足元に草花の咲く小道を歩く

2013年03月12日 | 写真

時々おとずれる京王フローラルガーデンには歩きやすい小道がついています。そしてその小道の左右の足元には色とりどりの美しい草花が咲いています。

ゆっくり歩いているとほのかに花の香りがして来ます。それが楽しくてつい何度も行くことになります。

そんな光景の写真をお送りします。先週撮った写真です。

皆さまもこの小道をゆっくり歩いているような気分でお楽しみ下さい。

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悲劇の日韓関係(4)トマス安重根による伊藤博文の暗殺と朝鮮併合

2013年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

時の勢いとは恐ろしいものです。江戸幕府を倒した明治維新政府は琉球王朝を接収し、日清戦争で勝って1895年に台湾を日本領にし、日露戦争では1905年に樺太の南半分を日本の領土にしました。その当然な延長として1910年には朝鮮を併呑したのです。そしてその次は満州帝国の建国と、その支配でした。

世界の各地に広大な植民地を所有する欧米諸国に対抗して一等国になろうとしていた日本にとっては領土拡大は避けては通れない国策だったのです。

その朝鮮併合が起きる前年の1909年10月26日に伊藤博文が満州のハルビン駅頭で朝鮮人のトマス安重根の発射した銃弾3発で倒れるのです。

伊藤は襲ったのが朝鮮人と聞き、「私を撃つとは馬鹿な奴だ」と言いながら30分後に絶命します。その態度は流石に偉大な政治家、伊藤博文らしい立派なものだったそうです。

トマス安重根はロシア蔵相ウラジミール・ココツフと伊藤博文の会談を警護していたロシア兵に捕まり、2日後に日本側へ引き渡されます。

安重根は満州の旅順の刑務所に収監され、直ちに1910年2月14日に死刑判決を受け、3月26日に処刑されたのです。

それから5カ月後の1910年8月22日に朝鮮併合が完成し、大韓帝国が消滅したのです。

カトリックにとって暗殺は大罪です。当時の大韓帝国のカトリック司教団からはトマス安重根へサクラメント(聖餐)を施してはいけないという命令が出ました。しかし安重根に洗礼を授けたフランス人司祭のジョゼフ・ウレム神父は刑務所にいる安重根を訪ね、サクラメントを与えています。

大罪を犯した安重根は人間的には魅力があったようです。

旅順刑務所で監視をしていた日本人看守の千葉十七は何度か話をしているうちに安重根の考えに共感を覚えます。そして安重根は処刑前に墨で書いた見事な文章を千葉看守へ贈っています。その時、彼が千葉へ、「東洋に平和が訪れ、日韓の友好がよみがえったとき、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったそうです。

千葉は終生、安重根の供養を欠かさなかったのです。千葉十七とその妻の墓は宮城県栗原市(旧若柳町)の大林寺にあり、そこには1981年に安重根の顕彰碑が建てられたそうです。

また旅順刑務所長、栗原貞吉も安重根へ好意を示しました。煙草などを差し入れ、裁判長に直接会って安重根の助命嘆願をしました。

しかし処刑は目前になります。栗原貞吉所長は安重根へ処刑の時着る絹の白装束を与えたのです。死刑執行後、栗原は安重根の死を悔やんで郷里の広島へ帰ってしまったのです。

現在の韓国ではトマス安重根は抗日闘争の英雄とされ、国民的英雄として非常に有名です。ソウル市には「安重根義士記念館」が1970年に建設されています。

また2008年に進水した韓国海軍の潜水艦に「安重根」という名前がついています。

また伊藤博文暗殺から100年目に当たる2009年10月26日に中国のハルビン市で記念式典が行われました。

カトリックの立場から見ると安重根は大罪を犯した罪人です。

しかし心ある日本人がもし日韓友好を考えるなら、現在の韓国人がトマス安重根をどのように評価しているいかを理解していることも重要と信じています。下に関連の写真を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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上は現在、ソウル市にある「安重根義士記念館」です。下の左がトマス安重根で、右は遺墨です。

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