鎌倉時代は京都の天皇や貴族の権力が武士へ移行した時代でした。
それまで天皇や貴族の為だけの仏教が大きく改革され武士や庶民の為の仏教へと改革されたのです。
仏教の難しい教義は庶民にも理解されるように説明され、南無阿弥陀仏とさえ何度も唱えれば浄土へ行けるという浄土宗や浄土真宗が民衆の支持を集めました。また、「南無妙法蓮華経」というお題目だけを連呼すれば救われるという日蓮の法華経が全国に広がりました。
この鎌倉時代の宗教改革で生まれた宗派は6つで、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、禅宗の臨済宗と曹洞宗です。臨済宗と曹洞宗は中国から伝承されましたが、あとの4宗派は皆日本で新しく生まれた仏教宗派です。
この新仏教の影響を受けて旧仏教の天台宗、真言宗、南都六宗でも刷新運動が盛んに行われました。
それはヨーロッパにおける宗教改革と同じです。旧教のカトリックの腐敗を改革するためにルター達が新教の各派を作ったのとよく似ています。この影響を受けて旧教のカトリック宗派も多くの刷新や改革を進めたのです。
より多くの大衆の信仰を強くするために古い戒律は捨てられたのです。
鎌倉時代の日本の仏教改革ではあまりに戒律を捨てすぎた感が否めません。その事によって日本の仏教はミャンマーやタイやベトナムなどの小乗仏教と大きく違いってしまいました。
それはそれとしてしても鎌倉にはお寺が沢山あります。
下に鎌倉市にある寺の所在地を示す地図を示します。お寺の数の多さに吃驚します。出典は、http://panna.dyndns.org/syasin/kamakura/kamakura_map.html です。
一昨日は鎌倉仏教の代表的な浄土宗大本山の光明寺に遊び、写真を撮ってきました。浄土宗の総本山は京都の知恩院で、その下に大本山が6つあります。鎌倉の光明寺はこの大本山の一つです。そして浄土宗のお寺は全国に7千以上で、信徒数は七百万人いると言います。
下に一昨日撮ってきた光明寺の写真をお送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
上は鎌倉で一番大きな山門です。
上は本堂です。
古刹らしい鐘つき堂です。
各地の住職さんが集まって修行をしていました。
大きな本堂の奥に鎮座しているご本尊様です。
裏庭の光景です。
====参考資料:鎌倉仏教==================
(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E4%BB%8F%E6%95%99)
鎌倉時代にあっては、国家的事業として東大寺はじめ南都の諸寺の再建がなされる一方、12世紀中ごろから13世紀にかけて、新興の武士や農民たちの求めに応じて、新しい宗派である浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗の宗祖が活躍した(このうち、浄土宗の開宗は厳密に言えば、平安時代末期のことであるが、鎌倉仏教ないし「鎌倉新仏教」に含めて考えられる)。この6宗はいずれも、開祖は比叡山延暦寺など天台宗に学んだ経験をもち、前4者はいわゆる「旧仏教」のなかから生まれ、後2者は中国から新たに輸入された仏教である。「鎌倉新仏教」6宗は教説も成立の事情も異なるが、「旧仏教」の要求するようなきびしい戒律や学問、寄進を必要とせず(ただし、禅宗は戒律を重視)、ただ、信仰によって在家(在俗生活)のままで救いにあずかることができると説く点で一致していた。
これに対し、「旧仏教」(南都六宗、天台宗および真言宗)側も奈良時代に唐僧鑑真が日本に伝えた戒律の護持と普及に尽力する一方、社会事業に貢献するなど多方面での刷新運動を展開した。そして、「新仏教」のみならず「旧仏教」においても重要な役割を担ったのが、官僧(天皇から得度を許され、国立戒壇において授戒をうけた仏僧)の制約から解き放たれた遁世(官僧の世界から離脱して仏道修行に努める仏僧)の存在であった。===以下省略===