日本の九州と韓国の釜山との間には対馬諸島があり、狭い海峡があるだけなので古代から人間の行き来がありました。文化の交流もあり、戦争もありました。
戦争と言っても日本側が攻め込むことが多かったのです。
しかし大規模な侵攻は秀吉による朝鮮成敗が始めてです。最近は「文禄・慶長の役」と呼ばれる、大規模な侵略でした。
明治維新になると琉球王国の併呑に続いて、西郷隆盛が征韓論を唱えます。
西郷隆盛は西南の役で亡くなりましたが、朝鮮半島を日本の領土にしようと考えが残ったのです。
日本政府は李朝を次第に圧迫し、終いには朝鮮半島を自国の領土にしてしまうのです。
この朝鮮併呑の後は朝鮮語の禁止、朝鮮名の日本名への改名、日本の小学校への登校、太平洋戦争への参加などなどを強制し朝鮮民族固有の文化の抹殺を進めたのです。
日本の敗戦で朝鮮半島は共産主義の北朝鮮と民主主義の韓国に分かれますが、すぐに朝鮮戦争が起き最終的には現在のような北朝鮮と韓国とに分断されたのです。
このように、秀吉の文禄・慶長の役から始まる日本の侵略と圧制が韓国人の根深い反日感情の原因になっているのです。
そこで韓国の反日思想が根着いた原因を深く理解するために、「悲劇の日韓関係」という連載記事を書いて行きたいと思います。
その連載では次のようなテーマを取り上げて行く予定です。
(1)秀吉の文禄・慶長の役での侵略の規模とその実態。
(2)西郷隆盛の征韓論の背景と明治政府への影響。
(3)ロシアの南下を食い止める朝鮮の重要性と李朝の圧迫。
(4)朝鮮併呑とその後の圧制。
(5)太平洋戦争への朝鮮人の強制参加。
(6)朝鮮動乱とその現在への影響。
以上のようなテーマを順次取り上げる予定ですが、話題がそれたり、順序が逆転するかも知れませんがご容赦のほどをお願いいたします。
下に私が朝鮮半島の人々にかかわった個人的な経験をお送り致します。
=====慶州の寺にてと、中国の朝鮮族自治区の金さんのこと=====
◎韓国、慶州の山寺にて
1970年代に日本の技術援助で韓国南東地域の浦項に近代製鉄所が出来ました。その技術研究所の所長は、以前東京大学で知り合いだった金鉄祐氏でした。招待されて講義に行ったが1985年のことです。
休日に浦項製鉄所の技師の韓さんが慶州の寺をいくつも案内してくれました。
慶州周辺の山々には多くのお寺があり、多くの韓国人の観光客が登り下りをしています。お寺は山の中腹に本堂を置き、その屋根瓦の稜線が山の稜線と調和し美しい曲線を描いています。
山全体にお堂が沢山あり、一つのお寺になっているのです。
ふと気が付くと、山門や本堂のわきには青銅製の立派な看板が出ています。よく見るとハングル文字に混じって秀吉の字が二、三回出てくるのです。
「韓さん、この看板は何ですか?」、「十六世紀、日本の秀吉の軍隊が朝鮮半島を侵略したとき、このお寺は秀吉軍に完全に焼かれてしまった。その後再建したものが現在のお寺であると書いてあるのです」、「きょう回った六つのお寺には全部この看板があったが?」、「そうです。秀吉軍に全部焼かれたのです」、「そんなに徹底的に焼いたのですか?」、「慶州だけでなく朝鮮の全域の寺が焼かれました。当時の朝鮮の軍隊は寺を宿舎にして、そこから出陣していました。だから、秀吉軍は徹底して焼いたのだと思います」。
韓さんは柔和に話し続けます、「日本の方は朝鮮合併だけを覚えていますが、秀吉の時代から韓国はひどい目にあっているのですよ」。
それは韓国人が秀吉の侵略を現在でも恨みに思っている風景でした。
@朝鮮族自治区 出身の金応培さんのお話
1981年、筆者の研究室へ留学して来た中国人の金応培先生は中国東北地方に散在している朝鮮族自治区の出身でした。
日本の朝鮮併合のあと、彼の両親が朝鮮を脱出し中国の東北地区へ移住したといいます。
少し落ち着いたら、今度は満州帝国独立騒ぎです。金さん一家は北満州のさらに貧しい朝鮮族自治区へ移住したのです。
金さんは家が貧しいので大学へ行けません。しかし北満州には巨大な松ボックリをつける松があり、それがお金になったのです。そこで金さんはそれを集め、松の実を多量に収穫し、都会の中華料理屋へ売って貯金をつくったそうである。そのお金で瀋陽にある東北工学院を卒業し、当時は、そこの助教授をしていました。
「なぜ何回も移住したの?」、「日本人が入ってくると、肥えた農地を買い上げてしまうのです。農民はお金が欲しいので売ってしまい、また奥地へと移住するのです」、「でも日本では満州開拓と言い、農地を買ったなんて言いませんよ?」、「買える肥えた農地が無くなってからは開拓していました」
苦労した金さんは、中国の開放政策直後に外国へ出る危険も顧みず、第一陣の研究留学生として来日したのです。昔勉強した日本語を忘れないでいました。
日本の大新聞やNHKは何かというと、南京虐殺や靖国神社参拝の問題だけを取り上げます。しかし、現地の人々の話を謙虚に聞くと、いろいろなことがあったのです。日本の朝鮮侵略で起きた民族の苦しみの一駒です。
==================================
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)