後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

あんなに居たオナガという鳥が忽然と消えてしまった

2013年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

1964年に小金井市へ引っ越してきました。家の周りは畑や雑木林がありました。カッコーのようですが尾は長く、色はグレイと水色、頭は黒のとても美しいオナガという鳥が群れをなして裏の雑木林で鳴いていました。見たことも無い綺麗な鳥だったので見とれていました。姿に似合わず声はギャーギャーと汚くて、家内と「天は二物を与えずだね」と言っていたものでした。それが15年くらいたって突然姿を消したのです。

調べてみましたら留鳥であり近場に一年中棲みついているそうです。

それが20年、30年前から、各地で急に居なくなったようです。原因は分からないそうです。懐かしい鳥なので「日本野鳥の会」(http://www.birdfan.net/gallery/library/sanya_keiryu.html)のHPからお借りした写真を下に示します。

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参考:オナガ、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%82%AC

ユーラシア大陸の東西両端の2つの離れた地域に分かれて分布する留鳥である。 分布の一方はロシア東部、中国東部、日本など東アジアで、もう一方はイベリア半島の一部である。いずれの地域においても局所的、飛び地状に生息域が存在する。

近年の遺伝子分析によれば、2つの地域個体群は種レベルで区別されることを示した。またイベリア半島内では化石も発見されており、両個体群の分化が数万年昔にまでさかのぼることがわかっており、イベリア半島の個体群は別種 Cyanopica cooki となる可能性が示唆されている。この事実が明らかになるまで、本種の特異な隔離分布は長らく謎とされており、15世紀の南蛮交易船が日本からイベリア半島へ持ち帰ったという珍説まであった。

なお、日本では分布を狭めており、1970年代までは本州全土および九州の一部で観察されたが、1980年代以降西日本で繁殖は確認されておらず、留鳥として姿を見ることはなくなった。現在は本州の石川県以東、神奈川県以北で観察されるのみとなっている。わずか10年足らずで西日本の個体群が姿を消した原因はまったくわかっていない。ただし、九州の個体群については近年になって分布を拡大し続けているカササギとの競争に破れたという説がある。このように分布域を狭めてはいるが、東日本に残された群の個体数は減少どころか増加の傾向にある。

全長は 34-39cm で、キジバトより一回り大きい程度。ただし尾羽が 20-23cm と長く、頭と体の大きさはムクドリ大。 名前の由来は、尾羽が長いことによる。

頭は黒く、背は淡い灰褐色、翼と尾は青灰色、のどから腹は灰白色で、尾の先が白い。雌雄同色である。なお、イベリア半島に分布する亜種は尾羽の先の白斑がない。

平地から低山地の比較的明るい森林や竹林を好み、森林に近接する市街地などでも見られる。

食性は雑食で、昆虫や果実、種子などを常食する。

樹上に枯れ枝などを使って皿状の巣を作り、1腹6-9個の卵を産む。抱卵期間は17-20日で、雌が抱卵する。雛は約18日で巣立ちする。カッコウの托卵先になることがある。

いつも高いところにおり、群れで行動し、カラスの仲間とあって学習能力は高い。警戒心が強く、また敵に対するモビング(疑攻撃)行動も活発で、巣が襲われた場合などは集団で防衛にあたる。

鳴き声は「ギューイギュイギュイ」「ゲー、ギー」などと汚い大声がよく聞かれるが、これは警戒音声であり、繁殖期のつがい同士などでは「チューイ、ピューイ、チュルチュルチュル」など愛らしい声で鳴き交わす様子も観察される。


小金井の桜は江戸時代から有名でした

2013年03月22日 | うんちく・小ネタ

小金井桜は玉川上水完成後まもなく、約270年以上前に上水の堤に植えられたのが始まりと言われています。

有名になったのは江戸後期に長谷川雪旦の「江戸名所花暦」や「江戸名所図会」、そして歌川広重の「武州小金井堤満花之図」や「小金井橋夕照」に描かれてからだそうです。

江戸、明治と見物客によって賑い、明治天皇も行幸になりました。

また小金井公園の桜花の奥の光華殿には第二次大戦中に現在の平成天皇が皇太子のころ疎開なさっていました。

現在の五日市街道沿いの堤の桜は車の排気ガスで勢いがなくなりましたが、小金井公園に植えた染井吉野、山桜、嵐山長柄の豆桜、深山桜などなどが咲きます。

今日はこの前の記事のように染井吉野桜が咲き始めました。その他の種類はこれから順次咲いて行きます。

下に歌川広重の「小金井橋夕照」を示します。

出典は、http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/wa33-5/wa33-5-005-l.html です。Wa335005l1


小金井公園の桜が咲きだしました!

2013年03月22日 | 写真

今朝から抜けるような晴天です。毎年、見事な桜花を見せてくれる小金井公園も咲き出したと思いカメラを持って、先程、撮影してきました。まだ3分咲きのようですが枝によっては満開の枝もありました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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桜花に浮かれる人や悲しむ人

2013年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も桜が咲きだしました。下の写真は3月20日に墓参りに行ったお寺の参道で撮りました。

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あと少しで東京の桜の名所も満開なるでしょう。人々が浮かれて桜花の下でお酒を飲みます。楽しい季節です。

我が家では家内が桜が好きで、これから数日間は小金井公園、井之頭公園、国立市の桜並木、桜堤団地、神代植物公園、学芸大学や国際キリスト教大学、などなどを訪れます。

満開の櫻木の下を歩いていると心楽しくなります。豪華な桜並木を見やると豊かな気分です。生きていた幸せで身がほてるようです。

しかし桜を見るたびに戦前生まれの私は悲しい想いもします。喜びと悲しみが入り混じった心境なのです。

「桜の散りぎわのようにいさぎよく死ね!」という呼びかけが耳の中に木霊するのです。そして九州の南端の開聞岳を見下ろしながら沖縄へ飛んで行った特攻機のニュース映画を思い出すのです。沖縄戦の始まったのが3月下旬で東京の桜が満開になるころです。下にあるような開聞岳の姿が櫻木の向うに見えるような気がするのです。その上、参考資料に示したように「桜花」という特攻専用戦闘機もあったのです。

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日本人はよく「武士道」を自慢します。しかし私はそんな言葉を信用しません。ほとんど騙し討ちのような真珠湾攻撃が武士道なのでしょうか?食料の補給もしなで玉砕しろというのが武士道なのでしょうか?米英の捕虜を虐待するのが武士道でしょうか?満州の関東軍が民間人を置き去りにして逃げたのが武士道なのでしょうか?戦争には行かなかったけれども戦前、戦後の生まれの日本人は武士道のむなしさを体験しているのです。

楽しい桜の季節になると桜花のように散れという武士道のまやかしを思い出します。悲しい気分になります。そんな日本人も少なくなり、やがては楽しさいっぱいの桜花の季節になることを祈っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

====参考委資料:「桜花」============

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終戦までに11型が製造され755機生産された。桜花で55名が特攻し戦死した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E8%8A%B1_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F