カトリックの復活祭の前の40日を四旬節と言い質素な生活をして復活祭を迎える心の準備をします。そしてその四旬節の前に「灰の水曜日」があります。教会に行って神父様から頭に灰をかけて貰います。すべての人間は土から生まれて灰に帰るという事を思い起こすためです。
どんなに偉い人も、全ての権力者も、貧しい者も富める者もみんな、みんな完全に平等に灰になってしまうのです。これこそが神の前に立った人間の平等というものです。そしていずれは皆が灰になるのですから神に与えられた能力にしたがって自由闊達に生きれば良いのです。これが神の与える自由というものです。
ところで話は飛びますが私は祖父が曹洞宗のお寺の住職をしていたので幼少の頃から般若心経を唱えていました。
その教えは、どんなに偉い人も、全ての権力者も、貧しい人もみんな、みんな完全に平等に空(クウ)なのです。そして全ての空(クウ)なものこそ人間や、全ての物質の本質なのです。
そしてお釈迦様は弟子のシャーリプトラ(舎利子)へ以下のように語るのです。
舎利子(シャーリプトラ)よ この諸法は空の相にして 生ずることなし滅することなし。 垢ならず浄ならず 増えず減せず。是の故に空の中に色は無く 受も想も行も識も無し・・・・以下省略・・・
このお経を聞くと私はカトリックの灰の水曜日の教えと全く同じではないかと感じるのです。
このお経の前では人間は完全に平等なのです。平等だからこそ自由に生きて良いのです。気持が癒されます。気持が晴れ晴れします。お釈迦様の慈悲を感じます。そうです。お釈迦様は人間の一人一人を平等に大切にします。
以下に般若心経とその解説をお送りします。般若心経の意味は上に書いたものよりもっと、もっと深く、その完全な理解は凡俗の私には無理です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
=====参考資料======================
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般若心経(はんにゃしんぎょう)
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五薀皆空 度一切苦厄 かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 しゃりし しきふいく くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 しゃりし ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界 ぜこくうちゅう むしきむじゅそうぎょうしき むげんにびぜつしんに むしきしょうこうみそくほう むげんかいないしむいしきかい 無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽 むむみょうやくむむみょうじん ないしむろうしやくむろうしじん 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 ぼだいさった えはんにゃはらみったこ しんむけげ むけげこ むうくふ 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 こちはんにゃはらみった ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうじゅ のうじょいっさいく しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 こせつはんにゃはらみったしゅ そくせしゅわつ 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか 般若心経 はんにゃしんぎょう |
般若心経(はんにゃしんぎょう)の解釈
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