後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

在原業平の都鳥はユリカモメで現在のミヤコドリとは別の鳥

2013年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

伊勢物語で、都落ちした在原業平が隅田川で京都では見かけない鳥を見て、船頭に聞くと、「都鳥」と教えてくれました。そこで「名にし負はば いざ言問はん都鳥 わが思う人は ありやなしやと」と詠みました。

この鳥の見かけの様子から伊勢物語の都鳥は現在のユリカモメであると言われています。現在は京都の鴨川でもユリカモメは沢山飛んでいますが、それは1975年頃から以後のことで、昔は京都にはユリカモメはいませんでした。

一方、現在のミヤコドリはチドリの仲間で、ユリカモメとは全然別種の鳥です。

しかし両方とも日本全土で見られる冬鳥の渡り鳥です。夏は千島、カムチャツカ、サハリン、シベリアなどへ渡ってそこで繁殖します。

カモメは留鳥と思っている人も多いようですが立派な渡り鳥で、冬鳥です。

漢字で都鳥と書けばユリカモメです。都鳥をミヤコドリとカタカナで書けばチドリの仲間の「ミヤコドリ」なのです。ややこしいですね。

下にユリカモメとミヤコドリの写真を示します

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上は冬羽の日本で見られるユリカモメです。下が夏羽のユリカモメで北方の営巣地で巣を作っているところです。枯れて倒れた白樺が寒い地方を示しています。

ユリカモメは、ユーラシア大陸北部やイギリス、アイスランドなどで繁殖し、冬は南下しヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへ渡り越冬する。北アメリカ東海岸に渡るものもいる。

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上の2枚の写真の出典は、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%A1です。

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上と下はミヤコドリです。体系がチドリの仲間を示しています。

写真の出典は、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%89%E3%83%AAです。

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ミヤコドリは、北欧、中央アジア、沿海州、カムチャツカ半島などで繁殖し、西欧、アフリカ西岸、中東、中国南部、日本にかけての海岸で越冬する。かつて日本では旅鳥または冬鳥として主に九州に渡来していたが、近年は東京湾でも定期的に観察されるようになった。海岸で小さな群れを作ってすごすことが多い。

日本では冬鳥として、北海道から南西諸島まで広く渡来し、小型のカモメ類の大半が本種である。ただし、北海道では厳冬期にはほとんど見られなくなる。主に、全国の海岸や河川、沼地などに普通に渡来する。


韓国や中国と争うのはもう止めよう!・・・日本の大きな国益を守ろう!

2013年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

周恩来と鄧小平の時代が過ぎ去り、江沢民の時代になると中国共産党は靖国神社参拝の問題や尖閣諸島の問題で日本へ攻撃的な態度を取り始めました。それに対して感情的に反応し、日本政府は黄海沖に海上自衛隊の艦艇を繰り出しました。そうすると中国側は火器使用用のレーダーを日本艦艇に浴びせ挑発行為をしました。

それを受けて日本の安倍政権は中国と軍事的にも争う姿勢を鮮明にしました。特に日米安保体制を強化し中国と本格的に争う政策を確固として取りはじめましたのです。

さてこの強固政策は本当に日本の国益を長期的に守るでしょうか?

私は短期的には悪くは無い政策と思いますが、10年先、20年先の長期的展望に立つと日本の国益の害になると信じています。

何故なら、中国が日本を恨む原因は明治維新以来のや約140年以上の長い期間で積み重なって来たからです。軍事的に争っても一朝一夕には勝てません。

日中間の不幸な歴史的事実を説明するためにこのブログでは以下の記事を掲載してきました。

中国が日本を憎む3つの理由(3)対華21ケ条要求と五四運動

中国が日本を憎む3つの理由(2)満州占領と清朝の復活

中国が日本を憎む3つの理由(1)日中戦争の間の汪兆銘南京政府への支援と1000万人の戦没者数

日中平和友好条約の2つの付帯条件・・・それを無視する日本

対中国戦略はアーミテージさんに聞け・・・その理路整然たる外交姿勢

是非、上の5つの記事をクリックしてご覧下さい。

日本が中国や韓国と争えば、東アジア全体の安全と平和を危険にさらすことになります。その危険な状態は日本の経済成長を止め、日本の国力を低下させます。

喜ぶのはEU諸国であり、ロシア勢力下の諸国です。その状態は決して日本の為になりません。大きな国益の害になるのです。

そこで日本人は過去約2000年間の中国や韓国との文化交流を重要視し、おおらかな態度でこの両国と付き合うべきです。日本側が大人になれば彼らも大人の態度を取ります。日米安保体制は今まで以上に強化すべきですが、黄海沖に海上自衛隊の艦艇を派遣して挑発的な展開をするのは止めるべきです。

昔の遣唐使や朝鮮半島の新羅などとの交流を想って頂くために長安(西安)と新羅の首都だった慶州の文化遺産の写真を以下に示します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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上は唐の時代の大雁塔です。唐の時代に玄奘三蔵法師がインドから持ち帰った経典をここで漢文へ翻訳したことで有名なところです。1982年に訪問した時は文化大革命で随分と荒れ果てていました。崩れかけた土の階段を最上階まで登ったことを思い出しています。

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上は唐時代の鐘楼を復元したものです。部厚い石壁を登ると唐の時代に帰ったような錯覚に襲われました。

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上は西安の郊外にある秦の始皇帝が作らせた兵馬俑です。等身大の兵の表情が一人一人違います。その数の多さとスケールの大きさに圧倒されました。

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上は慶州にある古墳です。内部には石造の豪華な部屋があり数多くの馬具や装身具が入っていました。その展示物をみると埼玉県行田市の古墳群の装身具や馬具と全く同じようなことに吃驚します。当時の文化は朝鮮半島からやって来たのです。

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上は慶州にある昔の天文台です。天文台としては東アジアでは一番古いものです。