後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日の小金井公園の夜桜

2015年04月03日 | 写真
今日から3日間、小金井公園は桜まつりです。今年は桜が散り始め、満開の時期とずれてしまいました。夕食後、家内と一緒に散歩に行きました。
ライトアップが無いので、昔の夜桜見物のようでした。ほの暗い櫻の枝の下で静かに飲食している家族や若者のグループが数組いました。以前のように放歌高吟している人が皆無です。何故か良い時代になったような気がしました。生暖かい夜風が心地よく吹いていました。写真でそんな雰囲気を感じて頂けたら嬉しく思います。









散り行く櫻に往く春を惜しむ

2015年04月03日 | 写真
小金井の染井吉野は散り始めました。今日は冷たいい風が吹き荒れ花吹雪です。
こんな時には野川に浮かんで流れゆく花びらを見ながら、静かに往く春を惜しみたいと思いました。午前中に散歩しながら、枝を離れて空に舞い、水に漂う花びらの写真を撮って来ました。
落花は淋しいものです。そんな寂寥感が漂った写真と感じて頂けたなら幸いです。









渓流の上に咲く櫻の風景を求めて奥多摩に  わけ入る

2015年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム
このところ毎日のように満開の桜花の写真を撮るために、あちらこちらと車を走らせています。写真を撮りながら毎度、桜のクロ-ズアップの写真だけでは飽きてしまうと思いました。そこで花畑の向うにある満開の桜やお寺の本堂の屋根に枝垂れかかるような櫻の風情を写真に撮りました。そして昨日は渓流の上に咲く櫻の風景を求めて奥多摩にわけ入りました。毎年行く場所なので櫻と渓流の位置関係をよく知っている場所です。
御岳駅下の多摩川の少し上流に広がっている鱒釣り場です。そばに数本のソメイヨシノがあり毎年、満開の櫻の枝が渓流に映えて美しい風景を見せてくれます。
ところが落胆しました。曇りで暗いのです。その上山郷の春は遅くまだ満開になっていないのです。肌寒い川風が吹いています。
せっかく来たのだからと以下のような3枚の写真を撮りました。





この3枚の写真を見ると昨日の寒い風を思い出して背中のあたりが冷え冷えと感じます。しかし昨日はここに30分ほどいていろいろな思い出にふけりました。何と言ってもここには1962年の秋以来、53年間にわたってよく来た場所なのです。川原まで車が入れて、子供の川遊びに適当な浅い流れがあるのです。以前は鱒の塩焼きの定食を出してくれる洒落た木造の食堂が川向うにあったのです。食堂の庭の釣り堀で子供が鱒を釣るとそれを塩焼きにして定食にして出してくれたのです。その食堂も今は廃業して綺麗な形の建物だけが残っています。
このマス釣り場は長い間、「国際フィッシングセンター」という名前でした。戦後すぐに横田基地や立川基地の進駐軍の兵士の週末の遊び場として創業されたのです。アメリカの兵隊さんが沢山来て繁盛したのです。私は昔通り、「国際フィッシングセンター」と呼んでいましたが、昨日、その看板を見たら何時の間にか「奥多摩フィッシングセンター 」と名前が変わっているのです。もう何十年もアメリカの兵隊さんは来なくなりました。文字通り、戦後は遠くなりました。
この多摩川の戦前は鮎の釣り場として有名でした。少し調べてみましたら、約100年前に多摩川の上流に琵琶湖の小鮎を試験的に放流したのです。そして大きく育ったのを確認しました。その放流の実験を行ったのが石川千代松博士で、大正2年の6月のことでした。
この実験の成功に自信を持った石川千代松博士の勧めで全国の河川に放流がなされるようになったのです。ですから多摩川は全国の河川の鮎釣りの発祥の川なのです。
それにしても進駐軍には鮎の友釣りよりも毛針で鱒を釣るのが好きだったのです。文化の違いです。
そんな事を想い昨日も一日が過ぎ去りました。
奥多摩フィッシングセンター の詳細は、http://outdoor.tachikawaonline.jp/3-okutamafish.htm をご覧下さい。最後にこのHPより、鱒釣り場の夏の写真を示します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)