後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

不思議な人々の絆(4)結婚ほど不可思議な人間の絆は無い

2015年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

人間の絆というものは不思議なものです。いろいろな絆が出来ます。それらは運命のようなものです。その絆で一番不可思議なものは結婚によって出来る男女の絆です。大した必然性も無く偶然会った男女が何故か愛し合うようになり結婚します。それには確固とした理由が無い場合もあります。そして子供も孫も出来ます。
人間の親子は人にもよりますが大体20年間くらいしか一緒に暮らしていません。それなのに夫婦は40年、50年それ以上一緒に暮らします。育ちも趣味もまったく違う夫と妻が何事も無いように一緒に暮らしているのです。結婚するまでは全く赤の他人だったのです。
ですから私は結婚ほど不可思議な人間の絆は無いと断言しているのです。
結婚して一緒に暮らし始めてから好きになって愛し合う夫婦もいます。結婚が愛し合う原因になっているのです。このように書くと未婚の若者が、それは嘘だ、愛し合ったから結婚するのだと反対します。そのような理解があっても良いのです。しかし40年、50年と一緒に暮らしてみると結婚が愛し合う原因になっているように思えるのです。

その上、子供や孫が出来るとそれがまた夫婦愛の原因になります。このように書くと、それでは子供のいない夫婦は愛し合っていないのかという疑問が出てきます。しかし子供がいないからこそ夫婦は強く支え合い、愛し合うようになるのです。
最近は国際結婚をする人も非常に増えてきました。夫婦の育った文化が違うので活き活きとした会話が続くのです。強烈な夫婦愛が生まれます。国際結婚は止めたほうが良いと賢そうに言う人がいますが、心配ご無用なのです。
夫婦の絆こそ不可思議で神秘的なものなのでカトリックでは結婚は神が人間へ与えた秘蹟だと考えます。ですから離婚などは許されないのです。夫婦の相性が良ければそれでも良いのです。しかし現実には相性が悪すぎて離婚する場合が沢山あります。そして最近は一生結婚しない人も増えてきました。次にこれらの問題を考えてみましょう。

結婚してみて相性が悪すぎたらさっさと離婚するのが良いのです。子供の出来る前にすれば子供を不幸にしません。しかし子供が産まれ、大きくなってから離婚する場合もあります。その場合は子供を離婚騒動に巻き込まないことです。そして離婚後も両方の親が子供に会えるように法律的な保障をすることが重要です。離婚の多いアメリカでは子供を守る法律が整備されていて離婚の弊害を最小限度にする社会制度もいろいろ出来ています。詳細はこの記事では割愛します。
その上で一生結婚しない人が増えている最近の日本の問題に関して私の感想を書きたいと思います。
それは憂慮すべき問題ではありません。独りでも淋しくなく、結婚の必要性を感じない人は敢えて結婚しない方が良いのです。そうすれば離婚して子供を不幸にする恐れはありません。結婚しないから日本の人口が減ると心配する人もいます。そのような心配はご無用です。日本の国土面積から考えると人口が稠密過ぎます。ですから雑駁に言えば日本人の人口は5000万人位が適当ではないかと私は感じています。
さて最後に重要なことを書きます。それは結婚したくても貧乏な家に生まれたので結婚出来ない、あるいは容貌が良くないので結婚出来ないと思い込んでいる場合について私の感想を書きます。結婚したくても出来ない理由をあれこれ考えると自分を傷つけます。そのような境遇や容貌に産んでくれた親を憎みます。そうすると自分だけでなく親をも傷つけます。そんな不幸なことはありません。その不幸から抜け出す唯一の方法は結婚できない理由をあれこれ詮索しないことです。結婚出来ないのは運命なのです。理由なんかありません。そう考えると結婚の条件などはさして重要でないと思えるのではないでしょうか。
それにしても結婚していると思わぬ良いこともあります。それは後期高齢者になって体が動かなくなったとき妻が介護してくれます。私の場合は元気過ぎる老妻が介護してくれます。そのお蔭で北海道や五島列島へくらいなら旅行もできるのです。
ですから結婚も良いものです。多少育ちが違っても我慢すると長続きします。しかし相性が悪すぎたら早めに離婚するのも賢いことです。それにしても結婚ほど不可思議な人間の絆は無いのではないでしょうか。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)