後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

すっかり新緑の季節になりました

2015年04月09日 | 写真
さきほど武蔵野公園を少しだけ散歩してきました。木々はすっかり新緑でみずみずしい葉を茂らせています。
足もとを見ると小さな草花がいろいろと咲いています。春の日が足早に流れて行きます。それにしても櫻の散るのもあっという間でした。
新緑の樹木と季節の草花の写真をお送りいたします。









幸多き瑞穂の国になるために(2)平和を祈り、個人の尊厳を守る

2015年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

(上の写真の出典は、http://ameblo.jp/tabicamera/image-10312895880-10225461396.htmlです)
将来の日本にとって一番重要なことは平和を守ることです。その為には平和を祈り、賢い外交政策と過不足無い軍備をそなえておくことが常に要求されます。
しかし幸多き瑞穂の国になるためにはもう一つ大切なことがあると私は思います。それは日本の政治を良くして個人の尊厳を守る社会にすることです。
今日は天皇陛下と皇后陛下のパラオのペリリュー島訪問のニュースを取り上げながらこの平和と個人の尊厳の問題を考えてみたいと思います。
上の写真はパラオの風景写真です。この様に平和で美しい南海の島で日本軍とアメリカ軍が1944年9月15日から1944年11月25日まで死闘をくりひろげ日本軍が玉砕したのです。
日本軍の戦死は10,695人で捕虜は202でした。一方アメリカ軍の 戦死は 1,794人で負傷は 8,010人でした。
このペリリュー島へ慰霊の為に天皇陛下と皇后陛下が昨日パラオの首都に到着し大統領主催の晩さん会に出席しました。
下の写真は昨夜、天皇陛下と皇后陛下が宿泊した巡視艇、「あきしま」の航海中の写真です。

さて今回の天皇陛下と皇后陛下のペリリュー島訪問の私の感想を述べたいと思います。
先の大戦で兵士たちは天皇陛下バンザイと叫んで戦死するように教育を受けました。ですから戦後に昭和天皇と現在の天皇は先の大戦の犠牲になった300万人余の霊魂の鎮魂のためにいろいろな場所へ行きました。特に沖縄には天皇自らの堅い意向で現在の天皇陛下が慰霊にいきました。そして昭和天皇と現在の天皇は常に平和を祈ってきたのです。日本の若い人々はこの慰霊と鎮魂の旅が将来の平和に固く結びつくようにするのが大切な務めと私は信じています。
そして日本が個人の尊厳を守る文化国家になって貰いたいのです。今回のペリリュー島訪問は天皇陛下の強い個人的な意志で実現したと報じられています。戦前の昭和天皇の個人的な意志が軍部に踏みにじられた歴史を思うと日本も良い国になったと嬉しく感じます。
それだけではありません。最近は出生や学歴によって個人が差別されることが少なくなりました。都会暮らしと田舎暮らしを差別しません。老人や身体障害者も差別されません。そういう意味では個人の尊厳が守られるような国になって来たのです。喜ばしいことです。
しかし個人の尊厳を守るということを、もっと徹底した国になって貰いたいのです。
それは戦死した敵の慰霊を行い、遺族の悲しみを想い浮かべることです。
ペリリュー島では日本軍の10,695人が死に、アメリカ軍の1,794人が戦死し8,010人が傷を負ったのです。
数は少なくてもアメリカ軍の1,794人の戦死者も日本軍の戦死者も個人的な視点に立てばその悲しみは全く同じです。個人と故人の尊厳を守るということは犠牲になった日本人もアメりか人もパラオの人もまったく同じに鎮魂の祈りを捧げることではないでしょうか?
アメリカは戦勝国で日本は敗戦国だから戦勝国の死者の冥福を祈る必要が無いと考えてたらそれは個人の尊厳より国家を重視したことになりませんか?
このように書くと欧米も同じだと言う人が必ず出て来ます。欧米のすることでも悪いことは悪いことです。流石に最近は欧米人もそのことに気がついて「ノルマンデー上陸記念日」には敵国だったドイツも招待し、敵味方双方の犠牲者の鎮魂を祈るようになったのです。
日本の若い人々が常に平和を祈り、敵味方双方の犠牲者の鎮魂を祈るようになってくれることを願っています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)