親子関係ほど強い絆は無いと思います。強いだけに一旦こじれると修復が非常に困難です。修復には20年、30年と長い年月がかかる場合もあります。そして世間体の為に親子関係が円満なように装っていても心の底では深い問題を抱えている場合もあります。
一番書きにくい人間の絆なので後回しにしていました。
しかし気楽に書くことにしました。親子関係を父と息子の関係と母と息子の関係だけに限定して描くと明快に整理出来そうです。
私は息子にとっては悪い父でした。息子が自分の思うようにしないと直ぐに立腹し叱ります。息子に理想的な人生を歩んで貰いたいと思うあまり失望したり怒ったりします。そんな訳で長い間良い関係ではありませんでした。しかしその問題も孫が出来てから次第に解消してきます。
ところが一方、家内と息子の関係を見ると始めから完璧に仲が良いのです。息子の他に一人の娘がいますが家内はその娘とも仲が良いのです。この世で母子の関係ほど強い絆は無いと私が何度も感じ入っています。
引退してからは、朝の10時頃からよく外出します。すると幼児を連れた若い母親によく会います。幼児が可愛いので笑顔で見とれていると母親が挨拶をします。「どうです。素晴らしい子でしょう!」という自慢が笑顔に見え隠れします。女性にとって一番幸せな時期なのです。
このように書くと結婚していない人や子供のいない人に可哀そうです。ですから子連れの母親に会ったときは運悪く子供のいない人の心に寄り添うようにしています。
話は飛びますが私は許嫁を日本から呼び寄せてアメリカのオハイオ州で結婚式を上げました。そんな事情からアメリカの親子関係を観察する機会が多くありました。雑駁に言えばアメリカの親子関係は日本ほど濃密でないのです。子供が高校生くらいになると親離れをして精神的には独立します。赤ん坊の育て方も一見冷酷で、泣いても抱き上げてはいけないと言います。要するに子供を甘やかさないのが理想的な育て方だと母親に教えているのです。
ですから息子は父に頼りません。父も息子の就職や結婚には一切意見を言いません。
日本では里帰りを毎年行う人がいますがアメリカでは人にもよりますが家族で両親に会いに行くのは数年に一回くらいです。誤解を恐れずにはっきり書けばアメリカの親子関係は疎遠なのです。日本では親子関係が濃密過ぎて不幸になる場合が多いのです。良い親子関係を保つには疎遠と思える位の距離を置いたほうが良いと考えられます。
このように考えて、私はアメリカ人は理想的な家族関係を持っている一番幸せな人々と信じていました。ところがその後何度もアメリカに行って彼等と親しくなってみると私の理解が完全に間違っていることに気がつきました。ある統計調査によると彼等が一番困って、悩んでいる人間関係は親子関係だと分かりました。不幸の実態が日本の実態と違うだけなのです。
悪い夫婦関係は離婚すれば一件落着です。しかし親子関係には終わりが無いのです。
また話は飛びますが、親が死んでしまったり、いろいろな事情で無くなった場合について一言書いておきます。私の家の近くにサレジオ学園があります。事情があって親と別れた子供達が一緒に住んで、サレジオ学園の小学校と中学校に通っています。高校からは一般社会の高校に行きます。その学園の中に大きなカトリックの教会があります。近所の人たちもサレジオの子供達と一緒にミサに参加していた教会でした。私はある年のクリスマスに、そこのミサに出ました。そうしたら昔、サレジオ学園で育った人々が家族連れでミサに出ていたのです。里帰りです。それは感動的な光景でした。忘れられない光景でした。親子関係を書く以上このようなケースについて何か教訓的なことを書くべきとあれこれ考えていました。結局、私には何も書けません。ただ祈るだけです。親子関係の難しさを深く考えています。解答の無い問題のようです。
あまり出来の良い記事ではないので花々の写真をお送りいたします。昨日、都立薬草植物園で撮った写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)