昨日は甲斐駒岳の麓の小屋へ遊びに行きました。庭に流れる小川の落ち葉を掬って底に白い川砂が見えるようにしました。小川の水音やさかんにさえずる野鳥の声を聞きながら暫くぼんやりしました。その後で家内と近所の山の里の花々や新緑の写真を撮りに行きました。
この山地は甲斐駒岳の麓に広がるなだらかな傾斜地です。景色は良いのですが、水はけが良すぎて水田が作れない土地でした。
ですから戦前は人の住まない深い森林が広がっていたのです。戦後、開拓農家が入り養鶏場や乳牛牧場にしました。ところが最近はイノシシや鹿や猿が増加してしまい畑作も困難な場所になってしまったのです。
そして養鶏や牧畜をしていた人も高齢になり便利の良い下の集落に移り住んでしまいました。その集落に昔からあった万屋の主も老齢になり店を止めてしまいました。そして昨日行ったらよくバーベキュー用の肉を買った店も主人が病気になって店仕舞いをしています。ここ数年は珍しいイノシシの肉や鹿肉を買ったこの店ともお別れです。
こうして山の里は淋しくなりましたが新緑や花々の美は以前と全然変わりません。以前以上にいきいきと自然の美しさが輝いているようです。この自然の美しさから先週行った五島列島への旅を思い出しました。その島々も過疎化が進んでいて海の美しさが広がっています。複雑に入り組んだ海が碧い高原の湖のように見えるのです。そのような入り江が沢山あります。
そして隠れるために移り住んだキリシタン達の集落も過疎化が進み美しい天主堂だけが残りました。そんな天主堂が舟でしか行けないような辺鄙な浜に建っているのです。これも時代の流れです。
昨日、甲斐駒岳の山麓の山里で写真を撮りながら、同じ様な時代の流れを感じていました。その山の里の写真をお送りいたします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
この山地は甲斐駒岳の麓に広がるなだらかな傾斜地です。景色は良いのですが、水はけが良すぎて水田が作れない土地でした。
ですから戦前は人の住まない深い森林が広がっていたのです。戦後、開拓農家が入り養鶏場や乳牛牧場にしました。ところが最近はイノシシや鹿や猿が増加してしまい畑作も困難な場所になってしまったのです。
そして養鶏や牧畜をしていた人も高齢になり便利の良い下の集落に移り住んでしまいました。その集落に昔からあった万屋の主も老齢になり店を止めてしまいました。そして昨日行ったらよくバーベキュー用の肉を買った店も主人が病気になって店仕舞いをしています。ここ数年は珍しいイノシシの肉や鹿肉を買ったこの店ともお別れです。
こうして山の里は淋しくなりましたが新緑や花々の美は以前と全然変わりません。以前以上にいきいきと自然の美しさが輝いているようです。この自然の美しさから先週行った五島列島への旅を思い出しました。その島々も過疎化が進んでいて海の美しさが広がっています。複雑に入り組んだ海が碧い高原の湖のように見えるのです。そのような入り江が沢山あります。
そして隠れるために移り住んだキリシタン達の集落も過疎化が進み美しい天主堂だけが残りました。そんな天主堂が舟でしか行けないような辺鄙な浜に建っているのです。これも時代の流れです。
昨日、甲斐駒岳の山麓の山里で写真を撮りながら、同じ様な時代の流れを感じていました。その山の里の写真をお送りいたします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)