後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夭折の写真家 横内勝司 写真展 「時を越えて」

2016年01月23日 | 写真
芥川喜好さんが今朝の読売新聞で、「横内勝司 写真展」を絶賛していました。そこでこのブログでも横内勝司 さんの作品をご紹介いたします。
その写真を、http://tenmasawa.com/archives/1923 からお借りしました。
乾板ガラスから80年以上の時を経て甦った昭和初期の信州松本の風景・人々の写真です。
横内勝司(1902-1936)とは:
松本の農家に8人兄弟の長男として生まれ、高等小学校卒業後に家業を継ぐ。
20代でカメラを手に入れ昭和11年に33歳の短い生涯を閉じるまでの僅かな期間に乾板式カメラで撮影された昭和初期の信州松本。
雄大なアルプスの山々や、当時としてはごくありふれた農村の日常、そしてそこに遊ぶ子供たちを捉えた躍動感溢れる作品の数々はまさに奇跡と言える。
だが、あまりに早すぎた死と、その後この国が辿った歴史の波に飲み込まれ、彼の存在とその作品を知る者は地元松本でさえ殆どいない。
石田さんが横内さんの作品に感動して、「横内勝司 写真展」を開催したいきさつ:
「写真家横内勝司さんの世界再び 三郷の石田さん作品展を計画」
http://townjoho.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%AE%B6%E6%A8%AA%E5%86%85%E5%8B%9D%E5%8F%B8%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%86%8D%E3%81%B3%E3%80%80%E4%B8%89%E9%83%B7%E3%81%AE%E7%9F%B3%E7%94%B0%E3%81%95%E3%82%93/
安曇野市三郷温の写真家石田道行さん(53)らは、昭和初期にアマチュアカメラマンの先駆けとして活躍した松本市筑摩出身の横内勝司さん(1901―36年)の作品展を計画している。横内さんと、その作品については2005年、本紙が「大量のガラス乾板発見」の記事で報じ、話題を呼んだ。石田さんは「これらの写真は松本の宝」といい、10年の時を経て再び光が当たる。
作品展は石田さんと同じく写真家の橋坂紀夫さん(66、松本市渚)、高野邦夫さん(66、新潟県)が実行委員会をつくり、5月1―5日、松本市両島のガーデン&ギャラリー風雅で行う計画だ。
昨年5月、松本市で開いた石田さんの作品展に横内勝司さんの長男祐一郎さん(87、フジゲン顧問)が来場。石田さんの作品に共感した祐一郎さんは、自分の父が写真をやっていたことなどを話し、自宅に作品を見に来るように誘った。
強い興味を持った石田さんは、早速訪れ、横内さんが残した大量のガラス乾板やプリントされた写真を目の当たりにした。何げない日常の一こまだが、日本の原風景を思わせる作品に、石田さんは「今まで約40年間、写真に携わってきたが、こんな衝撃を受けたのは初めて」とし、「あの時代のカメラで決定的瞬間を捉える技術も奇跡だが、写真に対する感性がものすごい。涙が出た」と興奮気味に振り返った。
その後、何回も祐一郎さん宅に通う中で、「作品をこのまま埋もれさせてはいけない」と思い、作品展の開催を提案。祐一郎さんも石田さんの情熱を理解し昨年末に了承、ガラス乾板など全てを貸し出した。
◇横内さんについては本紙が2005年2月13日付で「自宅の天井裏から大量のガラス乾板が発見された」として作品の内容や足跡などを報じ、写真に写っている場所なども調査。その後、「横内勝司の世界」と題し、全50回にわたり作品を紹介した。
石田さんは既に、1000枚近い作品をデータ化。橋坂さん、高野さんと作品展に展示する写真選びをする段階まで準備が進んでいる。
5月の作品展は第1弾と位置付け、その後は大きな会場での開催を目指し、巡回展も視野に入れている。
石田さんは「横内さんの作品を松本から全国に発信したい。日本に埋もれているこうした作品に、光を当てるきっかけにもしたい」と話した。 (浜秋彦)









人生の区切りとしての80歳になって非常に嬉しく感じる5つの理由

2016年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム
人々は一般的に60歳になる前の若いころは、老境というものに興味がありません。老人になることを嫌っています。
ですから今日の記事にもご興味は無いと思います。しかし若い人もいずれは70歳、80歳にすぐになってしまうものです。
私も老人になるのは嫌だと思っていました。でもこの1月18日に満80歳の傘寿になりました。
ここ数日何故か嬉しくて心が浮き立つのです。60歳や70歳になったときは別に嬉しくも可笑しくもありませんでした。
それなのに80歳になった途端に、嬉しさが沸々と心の底から湧いて出るのです。それは休火山が久しぶりに噴火をして、熱い溶岩が流れ出ているような感じなのです。
そこで何故こんなに嬉しくなるのだろうかと考えています。5つほど理由があることに気が付きました。列挙いたします。
(1)戦前、戦後の食糧難を通って、よくぞ80歳まで健康に生きてこられたことに感慨を覚え、嬉しいのです。
(2)自分を大切にしてくれた両親や伯父叔母より早く死ぬ不孝をしなかったことが嬉しいのです。
(3)恩人や友人との楽しい思い出が沢山つまった80年を振り返ることが嬉しいのです。
(4)車を自分で運転して、杖をつきながらも寂し気に咲く梅の花や華やかな金色に咲くロウバイの花の写真を撮れるのが嬉しいのです。
   ちなみに今日の挿絵代わりの写真としてこの昨日撮ったロウバイの花の写真を示します。
(5)風貌が悪く短足な自分の容姿にもう劣等感を持たなくなったことが嬉しいのです。何と言われようともう80歳なのですから。
老境に至ると人それぞれいろいろな感慨を覚えます。
現役の頃仕事に打ち込んでささやかながらも纏まった成果をあげたことに充実感を覚えます。そして恥多い人生という言葉があるように自分の数多い失敗を反省もします。ところが80歳になるとその喜びや悲しみがはるか彼方の出来事のようになるのです。心が軽くなるのです。
なぜか華やかな気分になります。
上に書いた5つの理由についてもう少し書き加えたいと思います。
(1)戦後の食糧難の時、祖母と一緒に寒い冬の日に宮城県の北部の田舎に米の買い出しに行ったことを思い出すのです。塩タラや塩イワシがご馳走だった戦後の10年間を生きて来たことを考えると、80歳まで生き抜いたことが嬉しいのです。
(2)父は数えで80歳で亡くなりました、母もその後亡くなりました。親の亡年より早く子供が死ぬという不幸をせずに済みました。親だけではありません、年上の恩人たちより早く死ぬ不義をしなかったことが嬉しいのです。
(3)幼友達や中学時代の友人と60歳過ぎに再会し実に楽しい会話をしました。中学時代からの親友の大川君は会うたびに、「俺はせめて80まで生きるぞ!後藤も80までは生きていろよ!」と繰り返し言っていたのです。この言葉通りになったことが嬉しいのです。
昔の友人達だけではありません。このようにしてインターネットを通して出来た友人達と楽しいい会話を楽しめるのが嬉しいのです。
(4)杖を突いて歩くようになると人々がみんな大変親切にしてくれます。ああ人間はなんと素晴らしいと感動することがたびたびです。
他人の優しさが分かったので嬉しいのです。
(5)私は容貌が悪く、若い時からそのことを劣等感として持っていました。
ところが80歳になってしまえば皆同じように皺くちゃです。容貌の良し悪しなんて問題ではありません。劣等感から完全に解放されました。と今朝の食卓で家人に言いました。そうしたら「同じ老人でも身なりを何時もきちんとしていて、挙措動作が美しい人は良いものです」と反撃します。私は反撃に反撃を返さずに静かにその言葉を受け入れました。そして以後、身なりと挙措動作に注意することにしました。これも80歳になったお陰で素直に妻の言葉が受け入れられるようになったのです。
つまらない話で失礼しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料======================
(1)還暦、古希、傘寿、米寿とは?
(http://www.kyosei-tairyu.jp/age-celebration/466-life.html)
年齢を重ねるとその年に応じて様々呼び方が付けられていて、特別なお祝いとして長生きをしている方を敬い感謝する意味を持っています。
よく知られているものとして還暦や傘寿、米寿、白寿等があありますがこの他にも多くの年祝いがありますので確認してみましょう。
年祝いの名前、年齢、意味や由来(http://www.kyosei-tairyu.jp/age-celebration/466-life.html より)
還暦(かんれき) 61歳 皆さんご存知の干支は十干と十二支の組み合わせからできているものとされています。この十干と十二支の組み合わせは60種類あり、自分の生まれた年と同じ干支が回ってくることで生まれ変わりを意味しそれがちょうど六十一歳の時になうと言われています。生まれ直すという意味から赤い頭巾やチャンチャンコが贈られます。還暦の呼び方は他にも「本卦がえり」ということがあります。
古希(こき) 70歳 古希という呼び方の由来は中国の詩人杜甫の詩「人生七十古来稀なり」からとられているとされています
喜寿(きじゅ) 77歳 喜寿の由来は喜の文字が七・十・七と分解されることからこの名前がつけられました
傘樹(さんじゅ)
八十寿(やそじゅ) 80歳 傘寿の傘の由来はこの文字を分解すると八・十二分解できることが由来しています
半寿 81歳 半寿の由来は八・十・一に分解されることから半という文字が当てられています
米寿(べいじゅ) 88歳 米寿の米という文字が選ばれている理由は八・十・八に分解できるということが由来しています
⇒ 米寿のお祝いについて詳しく知る
卒寿(そつじゅ) 90歳 卒寿の卒の文字は俗字が「卆」となっており九・十に分解できることが由来しています
白寿(はくじゅ) 99歳 白寿の白が当てられている由来に百という文字から一を引くと九十九二なるということが由来しています。
(2)古希の由来になった杜甫の漢詩
杜甫の詩「曲江」(「古稀」の語の出典)
    曲 江  杜 甫
 朝 囘 日 日 典 春 衣 
毎 日 江 頭 盡 醉 歸
酒 債 尋 常 行 處 有
 人 生 七 十 古 來 稀
 穿 花 蛺 蝶 深 深 見
 點 水 蜻 蜓 款 款 飛
 傳 語 風 光 共 流 轉
 暫 時 相 賞 莫 相 違
(通釈)朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、
     いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。
      酒代(さかだい)の借金は普通のことで、行く先々にある。
      この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、
      今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。
      花の間を縫って飛びながら蜜を吸うアゲハチョウは、奥のほうに見え、
      水面に軽く尾を叩いているトンボは、ゆるやかに飛んでいる。
      私は自然に対して言づてしたい、
     「そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、
      お互いに愛(め)で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。
(http://www.geocities.jp/sybrma/14toho.shi.koki.htm より。)