後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

中国共産党のある党員と親しくなったいきさつと中国人の本音

2016年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
仙台の高校時代に情熱的な漢文の先生に唐の時代の漢詩を習いました。そして歴史の時間には唐の政治や文化を導入しようとして何度も遣唐使が送られたことも習いました。盲目になっても遂に日本へ来た鑑真和尚の偉大さも知りました。
私は中国人を尊敬していました。それなのに清朝の末期には欧米列強が香港や澳門を奪い、北京や上海には治外法権の外国の租界が強制的に作られたのです。上海の公園には「犬と中国人は入るべからず」という看板があったことも知っていました。
若い頃の私は義憤を感じていたのです。欧米の植民地主義によって蹂躙されていた中国に同情していました。
1981年の秋に初めて北京の鋼鉄学院に講義に行きました。文化大革命の末まで鎖国状態だった中国にとっては外国人は非常に珍しかったようです。招待してくれた周栄章教授が学長主催の歓迎会を開いてくれました。北海公園の中にある宮廷料理の老舗「倣膳飯荘」でした。
いかにも宮廷料理のように美しく盛りつけられた料理の皿数も進み、茅台酒の酔いも回った頃、学長が中国の印象を訊ねてきました。
私は唐の漢詩のことや遣唐使の話をした後で、清朝時代に中國が植民地主義で酷い目にあったことに義憤を感じていたと言いました。そして共産主義は間違っているが、とにかく欧米列強を中国から追い出して、独立したことは大変嬉しいと述べました。会話は英語でしました。
すると学長も周栄章教授も同席した数人の先生もみんな立ち上がって「お互いの健康の為に乾杯しましょう」と言ったのです。
乾杯が終り座ると、学長が話しかけてきました。貴方が西洋植民地主義で中国が蹂躙されたことに対して義憤を感じたことに深くに感謝しますと言ったのです。そして貴方は外国人ですから共産主義のことをどのように言っても自由です。しかしある国が共産主義を選んだとしたら、それにはいろいろな理由があるのです。それだけ言って学長は静かな笑顔になって黙ってしまったのです。若かった私は、「では中国は共産主義しか選べなかった運命だったのですね」と言ったのです。学長はただ微笑むだけで無言でした。しかし私を見る視線が慈愛に満ちていたように感じました。
その後、私は北京の京劇へ招待され、頤和園や故宮や明の13稜へ案内されました。万里の長城や承徳避暑山荘と外八廟へも案内してくれました。ようするに大歓迎を受けたのです。
周栄章教授は自宅にも招んでくれました。北京の場末の料理店で北京ダックを御馳走してくれ、共になまぬるい五星ビールを飲む仲になりました。当時の北京では冷蔵庫が無い店も多く、なまぬるいビールを出していたのです。
北京原人の化石が出た周口店に行ったときは農家の中も気軽に見せてくれました。
その後、私は周栄章教授を何度か日本へ招待します。
周栄章教授は天津市の革命に参加したので、中國共産党で一目おかれていた党員だったのです。
この周教授は情義に厚く懐の深い人でした。中国の大人とはこんな人かと思ったものです。

さて話は変わりますが、私はアジア主義者なのです。中国人や韓国人、そして特に台湾人が大好きなのです。タイの人もインド人も好きです。ですからアジア人が欧米列強に虐められていたのが許せないのです。それが一番重要なことで資本主義か共産主義かはたいして重要でないと感じています。
何故、私がアジア主義に魅力を感じるか、その原因は分かりません。
戦争中の大東亜共栄圏の理念の影響もあるかも知れません。アメリカやドイツに在住していたときのいろいろな体験が私のアジア主義に関係があるのかも知れません。
現在、日本人は中国大陸が共産党の独裁化の下で国民は不幸だと思っています。独裁政治の暗黒社会の中で人々が暗い気持ちで日々を送っていると思う日本人も多いと思います。
しかしそれは大変間違っています。
植民地主義で中国を蹂躙していた欧米列強を追い出してくれたのが共産党なのです。
経済の大発展で歴史上初めて国民が三度の食事にありつけるようになったのです。
その上、自由に外国旅行に出掛け爆買いまで出来るようになったのです。中国人は独裁政治は別にして幸福なのです。共産主義だろうが民主主義だろうが本音で言えばどちらでも変わりがないのです。その上、中国は航空母艦を持ちアメリカやロシアに対抗できるまでになったのです。
その中国の国民が不幸だと思うのは間違っていると私は思っています。
その理解の上で、日本の国益を守るために堂々と中国とわたり合う姿勢が重要だと信じています。

今日の挿絵代わりの写真は世界遺産、北京の頤和園の風景です。
出典は、http://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage157 です。私は頤和園が一番好きでした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)