私は親しい中国人の友人を2人持っていました。1981年に中国に行って以来、何度も中国へ行き非常に親しくなりました。2人とも中国共産党の党員でした。
周栄章と金応培という方で、北京と瀋陽にある大学の教授でした。親しくなってから中国の社会の実際の様子をいろいろ聞きました。
その社会は我々の想像を絶するものでした。今後この共産党独裁国家を隣人として付き合う運命にある日本人の一人として中国人から直接聞いたことを書き留めて置きたいと存じます。
しかしこの記録は狭い個人的な経験にもとづいた話なので中国社会の全体像ではないことを始めにお断りしています。
それでは、そもそも共産党員と知り合ったいきさつから書いてみます。
1979年、フランスのベルサイユ宮殿の近所で開催された国際会議で数人の中国人に会ったのです。その会議は鉄鋼製錬の物理化学に関するものでした。フランスをはじめ各国の学者が集まりました。その会議に初めて中国人の学者が現れたのです。こんなことは1976年に毛沢東が死ぬまでは無かったことです。中国人が外国へ行ける時代が来たのです。これには皆が驚きました。
主催者のフランス人が出席者全員をベルサイユ宮殿に招待してくれました。それは夜の特別な招待です。宮殿のあちこちにローソクの光が揺れ幻想的な雰囲気です。特に鏡の間は全てローソクだけのシャンデリアで照明されています。1番目の写真にその鏡の間の写真を示します。
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鏡の間の中で北京の周栄章さんが私に、「この宮殿よりもっと素晴らしい紫禁城を案内するから中国に来ませんか?」と誘ってくれたのです。
そして会議の合間に瀋陽の大学の覊春林(きしゅんりん)先生も誘ってくれたのです。
この二人の誘いで1981年に北京と瀋陽の大学で講義をすることになりました。
この誘いのことを会議の幹事だったリブーというフランス人に相談しました。彼は是非行ってこいと言います。そして今回来ている中国人はみんな共産党員だと教えてくれました。
当時は外国旅行が出来る特権は共産党員にしか無かったのです。これが中国社会の実態だったのです。
現在、日本へ数多くの中国人が来ています。爆買いも話題になっています。
しかし中国人旅行者は絶対に共産党独裁の批判はしません。日本に来る中国人の中には何人かの共産党員が必ず混じっていて監視しているのだろうと私は考えています。亡命も監視しているに違いありません。
この続編に、いろいろと中国社会の実像の様子を書いて行きたいと思いますが、今日はもう一つだけ書きます。
それは「中国社会のいろいろな分野で成功するためには共産党員でなければ難しい」という実態です。
上の国際会議もその一例です。共産党員でなければ出席できなかったのです。夜のベルサイユ宮殿も見物出来なかったのです。
また上の一例が示すように中国では学者も芸術家も会社の経営者もみんな共産党員なのです。それは各分野の有力者です。総人口の数%しかいない特権階級なのです。
日本では共産党員といえば政治活動をしている人だけです。代々木の共産党に所属している人はみんな政治活動をしています。しかしそれは日本の総人口に比べると非常に少ない人数です。
中国の社会はどんな分野でも共産党員が有力者になっているのです。
これが共産党独裁制を支えている強い基盤になっているのです。
それはさておき、1981年に北京と瀋陽に行きました。
約束通り私を紫禁城(故宮)、頤和園、明の13陵、万里の長城、天壇、北京原人の周口店、瀋陽の清朝の発祥の宮殿、そして文化大革命で荒らされたキリスト教の教会(天主堂)などなど何処でも案内してくれたのです。その上、西安の大雅塔や玄奘法師の墓のある慈恩寺まで案内してくれました。
特に印象深かったのは紫禁城(故宮)と頤和園でした。
2番目の写真に紫禁城を示します。
この故宮は多くの日本人も観覧していますので説明は省略します。
しかし一言だけ書けば、確かにベルサイユ宮殿より大規模で素晴らしいと感じました。
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そして頤和園のいかにも離宮らしいロマンチックな雰囲気に圧倒されました。湖も山上の楼閣も素晴らしいのですが、特に美しい左右の風景を見ながら歩く回廊がロマンチックなのです。
3番目の写真にその回廊の写真を示します。
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今日は長くなるので、この辺で止めます。そして続編で、中国社会は日本の社会とどのような違いがあるかを少しづつ書いてみたいと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
周栄章と金応培という方で、北京と瀋陽にある大学の教授でした。親しくなってから中国の社会の実際の様子をいろいろ聞きました。
その社会は我々の想像を絶するものでした。今後この共産党独裁国家を隣人として付き合う運命にある日本人の一人として中国人から直接聞いたことを書き留めて置きたいと存じます。
しかしこの記録は狭い個人的な経験にもとづいた話なので中国社会の全体像ではないことを始めにお断りしています。
それでは、そもそも共産党員と知り合ったいきさつから書いてみます。
1979年、フランスのベルサイユ宮殿の近所で開催された国際会議で数人の中国人に会ったのです。その会議は鉄鋼製錬の物理化学に関するものでした。フランスをはじめ各国の学者が集まりました。その会議に初めて中国人の学者が現れたのです。こんなことは1976年に毛沢東が死ぬまでは無かったことです。中国人が外国へ行ける時代が来たのです。これには皆が驚きました。
主催者のフランス人が出席者全員をベルサイユ宮殿に招待してくれました。それは夜の特別な招待です。宮殿のあちこちにローソクの光が揺れ幻想的な雰囲気です。特に鏡の間は全てローソクだけのシャンデリアで照明されています。1番目の写真にその鏡の間の写真を示します。
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鏡の間の中で北京の周栄章さんが私に、「この宮殿よりもっと素晴らしい紫禁城を案内するから中国に来ませんか?」と誘ってくれたのです。
そして会議の合間に瀋陽の大学の覊春林(きしゅんりん)先生も誘ってくれたのです。
この二人の誘いで1981年に北京と瀋陽の大学で講義をすることになりました。
この誘いのことを会議の幹事だったリブーというフランス人に相談しました。彼は是非行ってこいと言います。そして今回来ている中国人はみんな共産党員だと教えてくれました。
当時は外国旅行が出来る特権は共産党員にしか無かったのです。これが中国社会の実態だったのです。
現在、日本へ数多くの中国人が来ています。爆買いも話題になっています。
しかし中国人旅行者は絶対に共産党独裁の批判はしません。日本に来る中国人の中には何人かの共産党員が必ず混じっていて監視しているのだろうと私は考えています。亡命も監視しているに違いありません。
この続編に、いろいろと中国社会の実像の様子を書いて行きたいと思いますが、今日はもう一つだけ書きます。
それは「中国社会のいろいろな分野で成功するためには共産党員でなければ難しい」という実態です。
上の国際会議もその一例です。共産党員でなければ出席できなかったのです。夜のベルサイユ宮殿も見物出来なかったのです。
また上の一例が示すように中国では学者も芸術家も会社の経営者もみんな共産党員なのです。それは各分野の有力者です。総人口の数%しかいない特権階級なのです。
日本では共産党員といえば政治活動をしている人だけです。代々木の共産党に所属している人はみんな政治活動をしています。しかしそれは日本の総人口に比べると非常に少ない人数です。
中国の社会はどんな分野でも共産党員が有力者になっているのです。
これが共産党独裁制を支えている強い基盤になっているのです。
それはさておき、1981年に北京と瀋陽に行きました。
約束通り私を紫禁城(故宮)、頤和園、明の13陵、万里の長城、天壇、北京原人の周口店、瀋陽の清朝の発祥の宮殿、そして文化大革命で荒らされたキリスト教の教会(天主堂)などなど何処でも案内してくれたのです。その上、西安の大雅塔や玄奘法師の墓のある慈恩寺まで案内してくれました。
特に印象深かったのは紫禁城(故宮)と頤和園でした。
2番目の写真に紫禁城を示します。
この故宮は多くの日本人も観覧していますので説明は省略します。
しかし一言だけ書けば、確かにベルサイユ宮殿より大規模で素晴らしいと感じました。
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そして頤和園のいかにも離宮らしいロマンチックな雰囲気に圧倒されました。湖も山上の楼閣も素晴らしいのですが、特に美しい左右の風景を見ながら歩く回廊がロマンチックなのです。
3番目の写真にその回廊の写真を示します。
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今日は長くなるので、この辺で止めます。そして続編で、中国社会は日本の社会とどのような違いがあるかを少しづつ書いてみたいと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)