今日の記事の概要を最初に書きます。
21万人にもの台湾の人が日本の為に出征し、3万人が戦死したという事実をまず簡略に書きます。
生残った18万人の復員兵から3万人を、台湾に逃げてきた蒋介石軍が徴用して中国本土での共産党軍との戦いに送りこみます。
当然、その何割かは共産党の捕虜になります。北京政権は朝鮮動乱が起きると台湾人の捕虜を最前線へ送ったのです。台湾人将兵は二重、三重の苦難を味わったのです。
それなのに台湾の人々は日本の統治を褒め恩義に思っているのです。Face Bookで知り合った台湾の人、Stephen Hsieh さんが日本統治を絶賛している場面を写したYOUTUBEを2本も送って下さったのです。心ある日本人がこの2本のYOUTUBEを見たら感動し、涙を流すでしょう。
お忙しくて私の拙文を読む時間の無い方は以下の2本のYOUTUBEだけでも是非ご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=6RBE6Vvj7oM
https://www.youtube.com/watch?v=ILoEdk2HrOk
この2本のYOUTUBEは広告で始まりますが、それをスキップするとその先がご覧になれます。
さて私は自分の文章が感傷的過ぎるのを反省しています。そこで今日は自分の文章は書かないで他の資料を厳密に転写することに徹しました。
どうぞ以下の事実を静かに受け入れて下さることを祈っています。
(1)台湾籍日本兵の総数と犠牲者数
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5)
1944年4月以降に志願兵として軍務に従事した者は特に台湾特別志願兵とも称される。特に台湾原住民志願者で編成された高砂義勇隊は南方のジャングルに慣れない日本軍にとって大きな力となった。隊員は軍属であり軍人ではないとされつつ戦闘に参加し、戦死者の割合が正規軍よりも多かったといわれている。しかし各種の事情により、戦後の補償は十分に行われていない。詳しくは高砂義勇隊の項を参照。
太平洋戦争の激化により1944年9月には台湾人にも兵役義務が課せられた。日本の敗戦までに日本兵として軍務に従事した台湾人は8万人を越え、軍属として徴用された者を含むと合計約21万人の台湾人が日本軍と共に戦った。その内3万名以上の台湾人が戦死または戦病死している。台湾から戦地に赴いた その約21万人中、約6千人が高砂族だった。
国民党は戦争が終わって台湾人元日本兵が復帰してくると、彼らを強制的に徴用した。国民党軍には海軍がなく、日本から接収した軍艦を操縦する技術を持った兵士が ほとんどいなかったため、復員してきた台湾兵を強制徴用した。国民党に駆り出された台湾兵は3万人と言われ、彼らは中国大陸に派遣されて共産軍と戦い、国民党が敗退して共産軍の捕虜となった。その後、共産軍は国際法を無視して、捕虜になった台湾兵を朝鮮戦争で韓国に派遣してアメリカ軍と戦わせた。
(2)高砂義勇隊
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%A0%82%E7%BE%A9%E5%8B%87%E9%9A%8A)
大東亜戦争末期、台湾原住民により編成された日本軍の部隊。フィリピン、ニューギニアなど密林地帯の戦場に投入するために創設された。隊員は軍属であり軍人ではないが戦闘に参加し、戦死者の割合が作戦を共にした軍人よりも多かったといわれている。高砂義勇軍とも。
台湾の高砂族志願兵からなる部隊である。7度にわたって編成され、合計1,800-4,000名の原住民が参加したと考えられている。当初1,000人の募集に対して40万以上の志願があり、倍率は400倍以上となった。自らの血で志願のための嘆願書を書いたものも多く、落選した者は悔しさのあまりその場で泣き崩れたりしたという。
伝統的な生活を営む高砂族の勇敢で純朴な性質や、耳が良く、夜目が効き、素足で音も無く夜の密林を駆け巡ると言われる程の身体能力の高さが、東南アジアの密林地帯において有用な戦力になると期待された。一部の部族には首狩りの風習が残るなど勇敢であること、強きことは原住民に取って美徳であった。以下省略。
以上の2項目の内容は忘れるべきでないと思います。私も以上の事実は知っていましたが戦後70年も経過して、正確な数字を忘れてしまっていました。
特に、「蒋介石は復員してきた台湾兵を強制徴用し、中国大陸に派遣し、共産軍と戦わせた。そして共産軍の捕虜となった台湾兵はその後、朝鮮動乱の時にアメリカ軍と戦わせた」という事実は今回初めて知ったことです。
3万人の台湾人将兵は二重、三重の苦難を味わったのです。残酷の極みです。胸が痛みます。
それなのに台湾の人々は日本人を恨まないのです。そして日本の統治時代を称賛するのです。
くどいですが、以下の2本のYOUTUBEだけでも是非ご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=6RBE6Vvj7oM
https://www.youtube.com/watch?v=ILoEdk2HrOk
この2本のYOUTUBEは広告で始まりますが、それをスキップするとその先がご覧になれます。
さて今日の挿絵代わりの写真は台湾の美しい田園風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
上の台湾の田園風景の出典は、http://01.gatag.net/0008061-free-photo/です。
上の台北郊外の田園の写真の出典は、http://www.taipeinavi.com/miru/127/remark/133768です。
上の台湾での「天燈節」というランタンのお祭りの写真の出典は、http://keddy-taiwan.com/3172です。
21万人にもの台湾の人が日本の為に出征し、3万人が戦死したという事実をまず簡略に書きます。
生残った18万人の復員兵から3万人を、台湾に逃げてきた蒋介石軍が徴用して中国本土での共産党軍との戦いに送りこみます。
当然、その何割かは共産党の捕虜になります。北京政権は朝鮮動乱が起きると台湾人の捕虜を最前線へ送ったのです。台湾人将兵は二重、三重の苦難を味わったのです。
それなのに台湾の人々は日本の統治を褒め恩義に思っているのです。Face Bookで知り合った台湾の人、Stephen Hsieh さんが日本統治を絶賛している場面を写したYOUTUBEを2本も送って下さったのです。心ある日本人がこの2本のYOUTUBEを見たら感動し、涙を流すでしょう。
お忙しくて私の拙文を読む時間の無い方は以下の2本のYOUTUBEだけでも是非ご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=6RBE6Vvj7oM
https://www.youtube.com/watch?v=ILoEdk2HrOk
この2本のYOUTUBEは広告で始まりますが、それをスキップするとその先がご覧になれます。
さて私は自分の文章が感傷的過ぎるのを反省しています。そこで今日は自分の文章は書かないで他の資料を厳密に転写することに徹しました。
どうぞ以下の事実を静かに受け入れて下さることを祈っています。
(1)台湾籍日本兵の総数と犠牲者数
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5)
1944年4月以降に志願兵として軍務に従事した者は特に台湾特別志願兵とも称される。特に台湾原住民志願者で編成された高砂義勇隊は南方のジャングルに慣れない日本軍にとって大きな力となった。隊員は軍属であり軍人ではないとされつつ戦闘に参加し、戦死者の割合が正規軍よりも多かったといわれている。しかし各種の事情により、戦後の補償は十分に行われていない。詳しくは高砂義勇隊の項を参照。
太平洋戦争の激化により1944年9月には台湾人にも兵役義務が課せられた。日本の敗戦までに日本兵として軍務に従事した台湾人は8万人を越え、軍属として徴用された者を含むと合計約21万人の台湾人が日本軍と共に戦った。その内3万名以上の台湾人が戦死または戦病死している。台湾から戦地に赴いた その約21万人中、約6千人が高砂族だった。
国民党は戦争が終わって台湾人元日本兵が復帰してくると、彼らを強制的に徴用した。国民党軍には海軍がなく、日本から接収した軍艦を操縦する技術を持った兵士が ほとんどいなかったため、復員してきた台湾兵を強制徴用した。国民党に駆り出された台湾兵は3万人と言われ、彼らは中国大陸に派遣されて共産軍と戦い、国民党が敗退して共産軍の捕虜となった。その後、共産軍は国際法を無視して、捕虜になった台湾兵を朝鮮戦争で韓国に派遣してアメリカ軍と戦わせた。
(2)高砂義勇隊
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%A0%82%E7%BE%A9%E5%8B%87%E9%9A%8A)
大東亜戦争末期、台湾原住民により編成された日本軍の部隊。フィリピン、ニューギニアなど密林地帯の戦場に投入するために創設された。隊員は軍属であり軍人ではないが戦闘に参加し、戦死者の割合が作戦を共にした軍人よりも多かったといわれている。高砂義勇軍とも。
台湾の高砂族志願兵からなる部隊である。7度にわたって編成され、合計1,800-4,000名の原住民が参加したと考えられている。当初1,000人の募集に対して40万以上の志願があり、倍率は400倍以上となった。自らの血で志願のための嘆願書を書いたものも多く、落選した者は悔しさのあまりその場で泣き崩れたりしたという。
伝統的な生活を営む高砂族の勇敢で純朴な性質や、耳が良く、夜目が効き、素足で音も無く夜の密林を駆け巡ると言われる程の身体能力の高さが、東南アジアの密林地帯において有用な戦力になると期待された。一部の部族には首狩りの風習が残るなど勇敢であること、強きことは原住民に取って美徳であった。以下省略。
以上の2項目の内容は忘れるべきでないと思います。私も以上の事実は知っていましたが戦後70年も経過して、正確な数字を忘れてしまっていました。
特に、「蒋介石は復員してきた台湾兵を強制徴用し、中国大陸に派遣し、共産軍と戦わせた。そして共産軍の捕虜となった台湾兵はその後、朝鮮動乱の時にアメリカ軍と戦わせた」という事実は今回初めて知ったことです。
3万人の台湾人将兵は二重、三重の苦難を味わったのです。残酷の極みです。胸が痛みます。
それなのに台湾の人々は日本人を恨まないのです。そして日本の統治時代を称賛するのです。
くどいですが、以下の2本のYOUTUBEだけでも是非ご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=6RBE6Vvj7oM
https://www.youtube.com/watch?v=ILoEdk2HrOk
この2本のYOUTUBEは広告で始まりますが、それをスキップするとその先がご覧になれます。
さて今日の挿絵代わりの写真は台湾の美しい田園風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
上の台湾の田園風景の出典は、http://01.gatag.net/0008061-free-photo/です。
上の台北郊外の田園の写真の出典は、http://www.taipeinavi.com/miru/127/remark/133768です。
上の台湾での「天燈節」というランタンのお祭りの写真の出典は、http://keddy-taiwan.com/3172です。