近所で一番早く咲く梅は海岸禅寺の山門前の一本の白梅です。
毎年、そこを訪れ、流れ大工の作った山門を見上げます。
何となくいい加減なような簡単な造りですが、流石にプロの作った山門です。享保年間から現在までの約300年間、何処に歪みも無く毅然と立っています。
土地の大工の家に寄寓していた渡り大工が造ったものといわれ、素朴な形をしています。
天井には龍の絵が描かれていたといますが、今はかすかにそれらしい線が見えます。
その門の所から白梅の大樹を眺め、しばしこの門を作った流れ大工の一生を想います。
流れ大工とは何故か少し悲しく、そしてロマンチックな生涯を連想させます。
いきなり話は飛びますが、ドイツには伝統的に流れ職人がいました。一人前の職人になるためにあちこちの親方(マイスター)のもとに寄寓して修行するのです。徒弟修業の時代を経て腕が親方に認められたらマイスターの資格がもらえるです。なかには途中で挫折してしまう人も多かったと言います。この伝統の延長でドイツの大学生は卒業までにあちこちの大学を渡り歩くと言います。それを修学の旅と言います。アメリカでも良く大学生が転校するのは、ヨーロッパの伝統のような気がします。
流れてあちこちの親方の所に寄寓して腕を磨くということは古今東西共通のことのように思います。よく若い人は外国に留学します。これも「流れ大工」と一脈通じるものがあるかも知れません。
幕末の僧、釈月性も「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、
人間(じんかん)到る処青山あり」と言ったではありませんか。
毎年、海岸禅寺の山門と梅を眺め、毎年、同じ想いに耽っています。
写真はその山門と梅の花です。そしてついでに小金井公園で撮った蝋梅の花の写真も添えます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)