自分の書く記事は無理な理屈を使って個人的な体験を大げさに書く癖があります。少しかっこ良く書き直せば、個人的な狭い体験で得た考えを人間普遍の考え方と主張をする習性があるのです。これを針小棒大とか我田引水と言うのかも知れません。その結果、真実半分、嘘半分になります。
新年早々、恐縮ですが今日はそのような一例です。
概略を先に書けば、写真で示したヨットの姿を多くの人々が美しいと考える筈だという主張を展開しようとしているのです。ヨットの美は全ての人間を魅了するという主張なのです。
一昨日、山中湖で撮った写真です。
この写真を見た人は富士山が綺麗なのでヨットが邪魔だと思うかも知れません。
あるいはこのようなヨットに乗る体験をした人は、「なんと美しい姿のヨットなのか!」と感嘆するかもしれません。ヨットの美しさに魅了されてしまうのです。
ヨットはどんな強風でも傾きながら疾走する性能を持っています。その為に重いキールをつけ、早く走るように無駄なものを削ぎ落して、削ぎ落して軽く仕上げます。
強風の中を帆走した体験がある人はこのヨットの機能に驚きます。
このように機能から生まれた道具や装置の美しさを「機能美」と定義してみましょう。
ここからが真実半分、嘘半分の話になるのです。
私は機能美はそれを使った人にしか理解出来ないと主張したいのです。
西洋のバイオリンやクラリネットやファゴットのような楽器は美しいでしょうか?
それらを使って美しい音楽を演奏した経験のある人は美しいと思うでしょう。
あるいは新幹線や昔風の汽車の走っている姿は美しいでしょうか?
それらに乗った人々は美しいと思うでしょう。
そして青空を飛んでいる飛行機は美しいと思うでしょうか?
それは飛行機に乗ったことも無い人にとっても美しいと思うはずです。
ここまで書けば、機能美はそれを使った人にしか理解出来ないと主張は真実半分、嘘半分であることが分かってしまいます。
体験していなくても想像力の豊かな人々にとっては機能美が理解できるのです。その道具や装置の機能が想像で理解出来、そしてその機能に合致した形になっていると美しいと感じるはずです。
こういう文章は屁理屈の悪い一例です。困ったものです。
しかし富士山だけを撮った昨日の記事の写真も美しいが、ヨットと共に撮った写真も美しいいと見て頂きたいのです。
それだけの話を針小棒大に書いてしまって済みませんでした。
それにしても何方か「機能美」というものをもっと、もっと分かりやすく教えて下さいませんでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
新年早々、恐縮ですが今日はそのような一例です。
概略を先に書けば、写真で示したヨットの姿を多くの人々が美しいと考える筈だという主張を展開しようとしているのです。ヨットの美は全ての人間を魅了するという主張なのです。
一昨日、山中湖で撮った写真です。
この写真を見た人は富士山が綺麗なのでヨットが邪魔だと思うかも知れません。
あるいはこのようなヨットに乗る体験をした人は、「なんと美しい姿のヨットなのか!」と感嘆するかもしれません。ヨットの美しさに魅了されてしまうのです。
ヨットはどんな強風でも傾きながら疾走する性能を持っています。その為に重いキールをつけ、早く走るように無駄なものを削ぎ落して、削ぎ落して軽く仕上げます。
強風の中を帆走した体験がある人はこのヨットの機能に驚きます。
このように機能から生まれた道具や装置の美しさを「機能美」と定義してみましょう。
ここからが真実半分、嘘半分の話になるのです。
私は機能美はそれを使った人にしか理解出来ないと主張したいのです。
西洋のバイオリンやクラリネットやファゴットのような楽器は美しいでしょうか?
それらを使って美しい音楽を演奏した経験のある人は美しいと思うでしょう。
あるいは新幹線や昔風の汽車の走っている姿は美しいでしょうか?
それらに乗った人々は美しいと思うでしょう。
そして青空を飛んでいる飛行機は美しいと思うでしょうか?
それは飛行機に乗ったことも無い人にとっても美しいと思うはずです。
ここまで書けば、機能美はそれを使った人にしか理解出来ないと主張は真実半分、嘘半分であることが分かってしまいます。
体験していなくても想像力の豊かな人々にとっては機能美が理解できるのです。その道具や装置の機能が想像で理解出来、そしてその機能に合致した形になっていると美しいと感じるはずです。
こういう文章は屁理屈の悪い一例です。困ったものです。
しかし富士山だけを撮った昨日の記事の写真も美しいが、ヨットと共に撮った写真も美しいいと見て頂きたいのです。
それだけの話を針小棒大に書いてしまって済みませんでした。
それにしても何方か「機能美」というものをもっと、もっと分かりやすく教えて下さいませんでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)