後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

80歳になってやっと自分が日本人であることに誇りが持てた!

2016年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
戦後の教育を受けた私は日本人である自分にいろいろな劣等感を持ってしまいました。日本人は近隣諸国を侵略した悪人と思いました。科学技術の遅れた後進国と自国を蔑んでいたのです。そして日本人には独創性が欠落していると思ったのです。ですから若い頃は長い間、日本人であることに悩んでいたのです。
アメリカの占領政策として日本人が再び立ち上がって米国を攻撃しないように教育内容を監視し指導した結果だったのかも知れません。
しかしアメリカへ留学し彼等と勉強の競争をしてみると決して劣っていないのです。その後の長い研究生活でも米国の学会誌に何度も投稿しました。投稿は審査され、合格するとその論文が学会誌に掲載されるのです。何度も合格しました。
次第に劣等感から解放されたのです。
その後のいろいろは省略します。
そして先週の1月18日に満80歳になりました。その結果こころが平和になりすべての劣等感が消えてしまったのです。
昨日、近所の海岸禅寺というお寺を静かに散歩しました。
梅と松と建物の姿が調和して静寂な世界を作っています。
その風景の中を歩きながら、何故か急に自分が日本人であることに誇りを感じたのです。そして自分が正真正銘の日本人であることを悟ったのです。そして深い心のやすらぎを覚えたのです。
人生の終わり頃になってこんな平和な気持ちになれて幸せだと感じています。60歳、70歳の私はまだまだ迷いの多い未熟な状態だったと思い返しています。
よく考えてみると個人が心の中に持っている劣等感にはいろいろあります。
それを整理してみると、個人の肉体や才能に対する劣等感、生まれた家や個人的環境に対する劣等感、そして住んでいる場所や国に対する劣等感などが相互に複雑に関係しています。
私の持って劣等感もその原因はいろいろでした。しかし80歳になってみると全ての劣等感が一気に消えて行くから不思議です。
そのいろいろの中で、日本人であることで劣等感を持っていたのは、第二次大戦に負けたという悲劇が原因になっていたようです。この完膚無きまでの敗戦は日本民族の未曽有の経験です。
従ってこれによる文字通りの敗北感が非常に重い原因だったと思います。
しかし現在は全ての劣等感が消えてしまったのです。不思議です。

下に梅と松とお寺の風景写真をお送りいたします。ご覧になられて心のやすらぎを感じられたら私も嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)