長く生きていると日本人の食べ物へ対する趣向の急速な変化に驚きます。
突然、個人的なことで恐縮ですが、私には男の孫が3人います。家内とよく旅にでたので孫のために美味しい食べ物をお土産に買って、意気揚々と帰って来ます。前の家に住んでいるので電話でお土産を取りに来るように言います。
次の日に、「どうだった?美味しかったろう?」と聞くと、「まあまあ」と変な返事をします。後で前の家に行ってみるとお土産が残してあります。
祖父、祖母が買って来たので礼儀上味を見ただけの様子です。
そこで愕然と悟ります。「美味しいものは時代によって変わって行くのだ!」と。
現在の子供が美味しいと思うのはマックやケンタッキーのようなファストフードやピザやスパゲティのようなイタリアンなのでしょう。
そこで孫に評判の悪かった食べ物を3品選んで以下に記します。これを見れば日本の食文化の変遷を実感出来ると思います。
その3品とは霞ヶ浦の小魚の佃煮と北海道のスルメと横浜の崎陽軒の昔風なシウマイです。
(1)霞ヶ浦の沖宿の小魚や小エビの佃煮
以前に霞ヶ浦で23年間ヨットをしていました。船を出して、沖にある沖宿という漁港に時々寄りました。そしてその漁村にある佃煮屋さんへ小魚や小エビの佃煮をお土産に買います。
その佃煮専門店には、ワカサギ、小ブナ、ハゼのような小魚、小エビなどの佃煮が種類別に、少しずつ味付けを違えて、昔風のガラスケースに並べてあるのです。分別しない小魚、小エビ類を一緒に佃煮にしたものもあります。
家に佃煮を持ち帰って、半分を孫たちへお土産としてあげます。あとの半分は自分の家用です。
それを肴にして冷たいビールを飲みます。すると子供のころに食べた佃煮の美味しかったことを思い出し実に楽しい気分になります。
思えば、昔、肉や卵が貴重で入手できず、佃煮でご飯を何杯も食べていたものでした。そして、その時代、木の折に入った佃煮の詰め合わせが贈答用としてもてはやされていたことを思い出しました。
家内も毎年霞ヶ浦の佃煮を贈ってくれた人のことを懐かしそうに話しだします。
1番目の写真は「沖宿」へ行くため岸へ向っているヨットの写真です。
2番目の写真は「沖宿」の村落のある岸です。
孫たちに佃煮の感想を聞くと、また「まあ、まあ」と例の調子で、曖昧です。美味しくなかったのかとしつこく聞くと、「まずくはなかったよ」と白状します。
評判が悪いようですが何度も佃煮をオミヤゲにしました。孫たちもすり込み効果でそのうち好きになると思ったからです。結果は惨敗でした。前の家は朝はパン食が多いようです。パンと佃煮は相性が悪いのです。その上母親の料理だけを美味しいと信じている様子です。
それでも私は自分用にと、佃煮を時々買います。
佃煮を買うたびにセピア色の写真を見るような郷愁を覚え、楽しいのです。
佃煮を買っては自分でも食べ残し、また買うのは郷愁を買っているのです。私は最後まで佃煮を買う運命にあるのです。
(2)北海道のスルメや魚の干物
北海道へ行くと昔よく食べたスルメやニシンやタラの干物を売っています。
終戦後の食糧難のころよく食べたものばかりです。スルメは七輪の火にあぶって裂いて食べるのです。その濃厚な味は感動的でした。体に力がみなぎってきました。
そしてカラカラに干したニシンやタラは鋏で切って水でもどして野菜類と一緒に煮るのです。肉類がなかなか食べられなかった戦後はそのニシンやタラの身がめっぽう美味しかったのです。からからに干し上げなければ鉄道便で本州まで送れなかったのです。
北海道に行くとそのような海産物が山のように積んで売っています。途端に嬉しくなってお土産に買いました。
結果は最悪でした。孫たちは小田原や伊豆の生乾きのアジやエボダイやキスの干物なら食べるのです。カラカラなスルメや干物は敬遠です。「猫跨ぎの魚」という表現がありますが、カラカラの干物は「孫跨ぎ」だったのです。
(3)横浜、崎陽軒の昔風のシウマイ
昔風のシウマイは真空パックでないので主に横浜にある崎陽軒の販売所で売っています。全国に流通しているのは真空パックです。
昔風のシウマイは真空パックでないので主に横浜にある崎陽軒の販売所で売っています。全国に流通しているのは真空パックです。
真空パックのものは高級ですが真空にするので硬くしまってしまい食べにくいのです。それにひきかえ「昔風のシウマイ」は傷みやすいのですが、ふんわりとして美味しいのです。戦前のレシピのままですので、味は文字通り昔の懐かしい味です。買うとき、「昔風のシウマイ」と大きな声で言います。言わないと真空パックのものを売ろうとします。そして、「今売れ筋はシューマイ弁当です」などと余計な雑音を発します。
3番目の写真は横浜、崎陽軒の昔風のシウマイです。
横浜に行くたびに昔風のシウマイを必ず買って来ます。家内も昔人間なので大変喜びます。
先日、孫達へ一箱上げました。感想は、例によって「まあまあ」です。その上、残しているのです。
結論は、美味しいものは時代によって変わって行くという重大な真理です。
この真理は世界中に普遍的に適用できます。しかしその変化の速度の大きい国と非常に遅い国があるようです。その変化速度はその国の文化の性質によるのです。それは大きなテーマになりますので今日はこの辺で終わりといたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)