後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

2億年前の化石の本物も売っています

2011年02月08日 | 写真

伊勢丹・府中店で撮った写真です。一番大きなアンモナイトの化石は12万円程です。小さくなると2万、1万円と安くなります。写真では小さく見えにくいですが、魚や昆虫の本物の化石も売っていました。化石マニアはご存知と思いますが高齢者が孫へのプレゼントに良いと思い写真をお送りいたします。(終り)

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平安時代のお香を買いにデパートへ行きました

2011年02月08日 | うんちく・小ネタ

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外国かぶれの傾向がある小生は、とかく日本の伝統文化の教養が無さ過ぎます。特に源氏物語などは興味がありません。しかし家内が何十年も勉強していますので、時々夫婦の義理で源氏物語に関連する事にお付き合いすることがあります。

今日は「梅枝の巻」に出て来るお香をデパートに買いに行くから車を出して下さいと言います。上の写真のように、鳩居堂が近くの伊勢丹に出店をしていて、そこで買えると言います。車の中で平安時代のお香の製法が全て詳しく記録されていると言います。そして12世紀に書かれた「薫集類抄」 に調合方法と均一に混合し熟成する方法が科学的に書いてあると教えてくれました。ですから現在でもその主な6種類は製造できます。平安時代と全く同じお香が売っているのです。これには流石に飛び上がる程驚きました。もし貴方がこの事実をご存知でしたなら、日本の伝統文化を大事にする素晴らしい教養人です。

帰宅してから薫集類抄を検索しましたら、実に多くの情報が出て来ました。その中から一番明快に平安時代の6種のお香のかおりや調合、混合、熟成を説明してあるブログを一つだけご紹介いたします。このHPを見ると香道の奥の深さも想像できて、楽しい内容です。その冒頭の部分だけ転載させて頂きました。

このキーボードの横には家内が焚いてくれた「梅花」の煙が静かに漂っています。平安時代の香りを楽しみながら21世紀の文明の利器のコンピューターを使っているのです。別に違和感も無いことが不思議です。詰まらない話は止めます。下の引用文を是非お読み下さい。面白い事が詳細に書いてあります。(終り)

綺陽会の主宰者:八條忠基著「薫物の製法」というHPです:http://www.kariginu.jp/kikata/takimono.htmhttp://www.kariginu.jp/kikata/takimono.htm

薫物(たきもの)の製法

奈良時代には主に宗教儀式に用いられた香ですが、平安時代になると貴族たちが家伝の秘法に従って練香を作り、これを披露し合う「薫物合わせ」を楽しむようになりました。源氏物語の「梅枝」には、この薫物合の情景が「香どもは昔今の取りならべさせたまひて御方方にくばり奉らせたまふ、二種づつ合はせたまへと聞えさせたまへり・・・人人の心心に合わせたまへる、深さ浅さを嗅ぎあはせためへるに、いと興あること多かり」と表現されています。

その中で、香りが洗練されて次第に6種類に集約されていきます。これを「六種薫物(むくさのたきもの)」と呼びます。
後世の『後伏見院宸翰薫物方』には、それを季節になぞらえて紹介しています。

梅花 (ばいか)


  うめの花の香に似たり

荷葉 (かよう)

夏、
  はすの花の香にかよへり

侍従 (じじゅう)

秋風蕭颯(しょうそう)たる夕、心にくきおりふしものあはれんて、
  むかし覚ゆる匂によそへたり

菊花 (きっか)

秋、きくのはなむらうつろふ色
  露にかほり水にうつす香にことならず

落葉 (らくよう)

冬、もみぢ散頃ほに出てまねくなる
  すすきのよそほひも覚ゆるなり

黒方 (くろぼう)

冬ふかくさえたるに、あさからぬ気をふくめるにより、
  四季にわたりて 身にしむ色のなづかしき匂いかねたり


その製法は『群書類従』(19遊技部)の「358 薫集類抄」「359 後伏見院宸翰薫物方・むくさのたね・五月雨日記・名香合・名香目録」に記録として残されています。特に『薫集類抄(くんしゅうるいしょう)』(12世紀末)には非常に詳しく配合が記されていますので、後世参考資料として重宝されました。

『薫集類抄』
をワード文書で公開しております。香道振興にお役立て下さい。

薫集類抄に見る六種薫物の配合(%)

 小数点以下四捨五入

沈香

薫陸

安息香

簷糖香

白檀

丁子


相撲の八百長も日本の文化の一部です

2011年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争も平和も人類の文化の一部という言い方があります。文化の意味を広くして人類の知能的な活動を文化と言えば戦争も平和も人類の文化の一部になります。そいう意味では、相撲の八百長は日本の文化の一部です。相撲は日本の国技ですから日本でしか起きない事件なのです。

始めに断って置きますが、私は八百長を弁護するつもりは毛頭ありません。あってはいけない残念な事件でした。

しかし何故このような事が起きたか考えて見ると日本の文化から自然に発生した現象であったという事が明瞭に分かります。

先輩力士が後輩へ、今日は悪いけど風邪をひいたのでよろしく頼むと言えば、後輩は武士の情けで負けてあげます。逆に後輩力士が終盤で白星をもう一つ取れば十両から落とされない場合には先輩力士は負けてあげます。このように同僚の先輩、後輩が助け合う事はいろいろな職場で普通に行なわれています。

「和をもって尊しとなす」という日本文化が同業者同士の助け合いを誘います。日本の職場では個人の能力が欧米ほど尊重されず、先輩・後輩の助け合いの重要性が強調されがちです。

相撲は国技であるので、この日本文化が普通より強く息づいているのは当然です。武士の情けや、義理人情の範囲で、自分が黙って八百長をしているとしたら誰がそれを非難できるでしょう。

今回の事件はいけません。お金で星を売買していたのですから。しかしその出発点は昔から存在した先輩後輩の義理人情なのです。

病気になった先輩との勝負で後輩が手を抜く美しい心に根ざしていると考えられます。貴方にはそれを批判する資格がありますか?私にはありません。それが日本の文化の一部なのですから。

いきなり話は飛びます。昔、アメリカで働いていた時、ある友人の就職運動を自分の上司でもあった恩師に頼みました。そうしたら説教をされたのです。「アメリカでは友人の就職運動を頼むと、貴方の人格を疑われますよ。友人という理由だけでえこひいきして居るからです。アメリカではそれは倫理的な行為ではありません」と説教されたのです。

しかし暫くしてから、友人の就職運動にいろいろ親切にアドバイスをくれました。説教が立派過ぎたと思ったのかも知れません。なにせアメリカのスポーツ界でも八百長はあるのですから。欧米にもあるのです。

しかしアメリカと日本の文化の違いを強烈に体験した事件だったので、今でも時々思い出しています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人

下に日本文化のシンボル的な帆かけ舟の写真をお送りします。昨年の夏、霞ヶ浦で撮った写真です。

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今日の散歩の風景・・・谷保の城山からくにたち郷土文化館まで

2011年02月07日 | 写真

国立市の多摩川に近い崖の下の湧水沿いに散策路が続いています。戦国時代以前の豪族の三田氏の館のあった城山から、その散策路を歩いて 「くにたち郷土文化館」まで往復してきました。往復で1.6km位の短い散歩でした。家内と一緒に歩いて来ました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。一番下の写真がくにたち郷土文化館です。

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法然と親鸞の名前は知っているが教えは知らない

2011年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

私は法然と親鸞の名前は知っているが教えは知らなかった。理科系の大学の受験勉強で2人の名前と生まれた年、死んだ年を暗記したのです。そして法然と親鸞は浄土宗と浄土真宗の開祖と暗記していれば合格です。

しかし一番重要な事は2人の教えの内容ではないでしょうか?受験勉強の弊害の見本のような話ですね。

大学生になったら親鸞の本がはやっていて皆が文庫本を読んでいます。私も買って読みましたがチンプンカンプンです。やたら仏教の専門用語が出て来て文章の意味が分かりません。それ以来、親鸞に関する本をいろいろ読みましたが何故流行するのか分かりませんでした。

ところが今日の読売新聞の11ページにある阿満利磨氏の、「法然・親鸞 いま問い直す意味」という記事を読んで簡単に理解出来ました。阿満利磨氏は数行で説明しています。

法然:阿弥陀様は、わが名を称するものはいかなる人間であっても、等しく浄土に迎えて仏とする、と約束しています。だから南無阿弥陀仏とだけ何回も唱えればよいのです。

親鸞:法然の上に書いた教えを信じて念仏すると、人間の愚かさは変わらないが、それでも徐々に変化が生じ、自分と他人の個性の違い、自分と他人の共通性が以前よりは見え始める。念仏を唱えて仏の教えをよく聞くと自分の心の中に少しづつ仏の心(信心ーまことのこころー)が植えつけられてゆくのです。このように無意識の領域に蓄積される仏心が人を智慧と慈悲の世界へ導いて行くのです。

私が若い頃、上に書いたような法然と親鸞の簡単至極な教えを理解出来なかった理由が今にして分かりました。論理的に理解しようとしたのです。南無阿弥陀仏と唱えるだけで浄土へ行けるとは簡単過ぎてとても信じられない。座禅や厳しい修業を無視するのは間違いではないのか?

親鸞のいう「無意識の領域に蓄積される仏心が人を智慧と慈悲の世界へ導いて行く」とは科学的ではない。無意識の領域に起きる変化は実験的に証明出来ないのです。

現在の私には実に簡単に理解出来るのです。論理的に理解するのではなく、心で理解するのです。2人の教えに同感します。感動すら覚えます。

私はカトリックの信仰を変えるつもりは毛頭ありませんが、仏教の素晴らしさが理解出来るのです。法然と親鸞は愚かな人間を等しく愛していたのです。愚かな人間の全てを等しく愛しているのです。お釈迦様がそうしたように。

鎌倉時代にはそれまで天皇や貴族の為だけのだった佛教を一般大衆の為の仏教へ改革したという意味もこれで分かります。

理屈で理解するのではなく心で理解すると仏教が分かる。実はキリスト教も同じ事なのです。それはそれとして、

皆様のご健康と平和を今日もお祈り申し上げます。藤山杜人

下に睡蓮の花と蓮の花の写真をお送りします。蓮の花の出典は、http://wadaphoto.jp/sakura/hasu1.htm です。

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古い鎌倉街道を取材して来ました

2011年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

源頼朝が鎌倉幕府を開き、その有力な家来を関東地方の守護としてあちこちへ配置しました。その有力御家人の領地と鎌倉を結ぶ最短道路は、幅6mに統一し整備しました。イザ鎌倉という場合にご家人が馬で迅速に駆けつけられるようにしたのです。下の図は鎌倉時代専門の歴史学者の玉川大学、多賀譲治氏が描いた地図です。図の中央に鎌倉から真っ直ぐ北へ延びている「上道」があります。この上道は関戸大橋付近で多摩川を北へ渡り、武蔵国分寺と国分尼寺の西端に沿って北上しています。そして現在のJR西国分寺駅の東側をかすめて、東福寺や熊野神社の間を通る南北の道に続きます。そこを更に北上すると西武線につき当って消えています。勿論、その先は所々に旧鎌倉街道が明瞭に分かるところがあります。

今日は「上道」の武蔵国分尼寺の北から歩き、写真を撮って、更にJR西国分寺駅前の大通りを斜めに降りて、東福寺と熊野神社の前の旧鎌倉街道の写真を撮って来ました。駐車場が無いので家内が一人で走り回ったり、丘に登ったりして撮ったようです。

現在より800年程前の街道の位置がこんなに明瞭に分かるのは奇蹟のように感じました。一番最後の写真の金網のある道路の向こうに「恋が窪の宿」があり多数の遊女が居たのですが、その一人が義経に恋をして非運な最後を遂げたのです。その遊女を哀れんで東福寺の「傾城の墓」が作られています。その墓は現在でも存在しています。

多賀譲治氏が描いた地図の下に今日、取材して来た現在の鎌倉街道の様子を示します。昔の面影の残る所と、全く無くなってしまって車の通る大道りになっている所もあります。800年経つとこんな風に風景が変わるのかと感慨無量でした。

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この図面の出典は、http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/nozuta/index.html です。

下の2枚の写真は武蔵国分尼寺の西端から北へ延びる旧鎌倉街道です。002_2

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下の写真はJR西国分寺前の府中街道です。旧鎌倉街道はこの大通りと同じ所を数百メートル通り、東側へ下って恋が窪方面へ北上しています。右の写真はJR武蔵野線です。鎌倉街道はこの武蔵野線を斜めに横切っています。鎌倉街道は近代日本人には完全に無視されて鉄道や新らしい道路が建設されたのです。

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大きな府中街道から分かれて側道になった旧鎌倉街道の通りは現在は舗装され車が往復出来る立派な道になっています。その通りに面して東福寺と熊野神社があります。

当時は街道に面してお寺や神社が作られたので、この道が鎌倉街道であったと理解出来ます。東福寺も熊野神社も鎌倉時代以前の創建です。下に東福寺と熊野神社の写真を示します。

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この東福寺と熊野神社の面している通りの写真が下にあります。

その次の写真に恋が窪村用水の説明板があります。鎌倉時代から300年後の江戸時代の農業用水が鎌倉街道に沿って作られていた事は、鎌倉街道が江戸時代までは村人に大切にされていた証拠です。明治維新以後の様変わりの急速なことに驚きます。江戸時代までは時間がゆっくり、ゆっくり流れていたのです。

最後の写真の道が旧鎌倉街道で、向こうに「恋が窪の宿場町」が存在していました。

そのせいで、その付近に現在の国分寺市の市役所があります。考えてみると鎌倉時代の歴史が国分寺の市役所の位置へ関係しているのです。歴史を調べるといろいろ面白いことを発見します。今日は郷土史の面白さが分かる取材でした。(終り)

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神様は居ない、あの世も存在しない・・・そして、、、

2011年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

少しでも宗教がかった話題になると、「神様は居ない!あの世も存在しない!」と声を張り上げて議論を始める人が居ます。私も神様は居ない、あの世も存在しないと思う時がありますから、その議論を静かに聞いています。実に簡単な論理をあれでもない、これでもないと知識の総動員をしています。簡単に言えば神様の存在は現代科学で証明されていない。科学で証明されていないものは存在しない。そんな論旨なのです。私は昔、化学の研究をして居たのでその論旨は理解できます。

(1)しかし、私は存在しない神様や、あの世を信じようとする人間の心の美しさに感動しているのです。自分の悪さを神に許して貰おうとしているのです。謙虚ではありませんか?家族や友人の幸福を神様に祈っているのです。隠れた家族愛や友情が人間の生活を潤いあるのもにしているのです。文学や芸術も深い奥底に「祈り」が込められている事が多いのです。ですから私は神様を信じ、あの世も信じようとしています。

(2)しかしと、貴方は言います。信仰や宗教が残酷な戦争の原因になってきた事は歴史的事実でしょう?宗教なんか無い方が良いのですと。私はそれも本当と思います。

従って、神様の存在を信じません。あの世の存在も信じません。神様を信じないから、家族や友人の為に神様へ祈ることは絶対にしません。私の人生は合理的な生活の連続で、生物学的な寿命が尽きれば死ぬだけです。首尾一貫、明快至極です。

上に矛盾する2つの考え方を書きました。人それぞれどちらでも良い事です。ある人は何時も(1)のように努力して生活しています。ある人は(2)のような生活を徹底しています。どちらでも良いのです。

しかし私は(1)のようになるように努力しているつもりです。それは私の美的感覚の結果であり、科学的論考の結論ではありません。

例えば下に示したメタセコイヤの林の景色を美しいと私は思います。そうは思わないで退屈な写真と思う人もいます。私のカトリックの信仰はそのようなものなのです。

今日は、これからミサへ行きます。そして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈りして来ます。この文章を読んで下さった方々の為に。藤山杜人

追伸:只今、教会から帰ってきました。上に書きましたお祈りはミサ前の10分間の準備の祈りのあいだに致しました。そしてご縁があってこのブログを今週見てくださった皆様の為にも。さらに、悲しくて、美しい文章です・・・「雪の神様だね」でご紹介した山下和紀さんと娘さんへ神様の慈しみがあるようにお祈り致しました。

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これからの若者は職業をどのようにして決めるか?

2011年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の経済が高度成長する前に就職した人々は、職業の選択に迷いがありませんでした。正確に言えば、迷いの無い人々が多かったのです。一生どのような職業につくかは、親や学校の先生がクドクドと説教するのが普通でした。ですから従順な性格の子供は早くから一生続ける職業を決めていたのです。日本がまだまだ貧しかったので生涯生活に困らないという目標で職業を決めていたものです。

現在は職業については全く自由で本人が自分の責任で職業を決めなければなりません。ある意味で、それは過酷な話です。人生経験のまだ無い若者に、「決めろ!それは自分の責任だ!」と言うのです。若者が迷うのが当たり前です。周りの大人に相談すると。「それは自由です。自分で自分の好きな仕事を良く考えて決めなさい」と突き放されます。私はそんな場合絶対に言うことがあります。「老後の30年は厚生年金で暮さねばならないので社会保険料を必ず払ってくれる会社を選びなさい」とクドクドと言います。

それはそれとして、最近の公立中学校は色々な職業体験を持っている人々を呼んで、生徒に自分の職業体験の話を聞かせます。私自身も3回ほど市立中学校へ職業選択について話をした経験があります。

ところが最近は話を聞かせるだけでなく、種々の職場へ生徒を派遣して、働いている人の話を聞かせ、仕事の一部も体験させるのです。

例えば中学2年の男の孫は、消防署へ3回派遣され説明を聞き、高さ30mのハシゴ車のてっぺんまで乗せて貰ったそうです。昨日の、高さ30mの梯子の上から撮った写真です という記事の写真はそのハシゴ車から孫が撮影した写真です。

ハシゴ車に乗せて貰っただけでなく、救急車や消防車の役目や出動準備の話も聞き、道路の上に何気なくあるマンホールを開けると消火用の大きな栓が取りつけることが出来ることも教わったのです。その関連の写真を下に示します。

勿論、消防署だけでなく、レストラン、中華料理店、回転ずし、保育所、幼稚園、などなどいろいろな職場へ生徒の希望に従って派遣されるのです。ご存知の方も多いとは思いますが、ご参考までにご報告致したしだいです。(終り)

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狼が12匹もいる多摩動物公園の写真の補足

2011年02月05日 | インポート

 一昨日、多摩動物公園へ一人で行き写真を撮って来ました。動物の写真は、「動物達の写真を撮りました」という題目で掲載しました。蝶々の写真が上手く撮れなかったので、今日は家内と一緒に再度チャレンジしました。ついでに園内を隅々まで散歩して動物の写真も撮ってきました。雪ヒョウは珍しいと思いました。そして一昨日は2匹しか見えなかった狼は12匹も眠りこけていました。サイや水牛も迫力があります。ムラサキサギや色とりどりの大型な鳥たちの居る巨大な檻の中には見物客が自由に入って、鳥達を直接見ることが出来ます。一昨日の、「動物達の写真を撮りましたという記事に写真を補足いたします。

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「真冬に乱舞する蝶のはなやかさ」への写真の追加

2011年02月05日 | 写真

一昨日、「真冬に乱舞する蝶のはなやかさ」という記事を掲載しました。写真の写りが良くなかったので、今日は家内と2人で舞い遊ぶ蝶々の写真を100枚以上撮って来ました。数種類の多数の蝶々が顔にぶつかるように群舞しているのにやっぱり写真では良く見えません。人間の目は一度見ると0.04秒残像が残り、蝶々の飛び軌跡が見えますが写真には軌跡が残りません。従って肉眼で見た華やかさは撮れませんでした。温室全体の写真と蝶々の写真を追加します。説明文は、「真冬に乱舞する蝶のはなやかさに御座います。

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自己満足で書いてはいけない!と孫が言う

2011年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は考える葦だと言われています。私は枯れた葦ですが詰まらない事を毎日考えて生きています。ところが心の中であれこれ考えてもまとまりがつきません。逡巡しているうちに何を考えているか分からなくなります。

そこで考えを書いているのです。書くという作業をすると何が根幹で何が枝葉末節か自分で明快に分かります。考える事は「何故、最近フランス料理屋が少なくなったか?」という下らない問題から、「イエス様の言う愛とお釈迦様の和顔愛語の愛と何処が違うか?」という高尚な難題に挑戦したりしています。

そして考えた事を書いて見ると自分の考えた事の欠点や浅はかさが自分で分かるのです。それをブログで公開するのは書いた事が皆様へ分かって頂けるように論理の流れを整理して、ストンと分かるように工夫します。そのような作業が私には楽しいのです。形の分からない想念を粘土をこねて意味のある形に作り上げていくような面白さがあるのです。

自分のブログは実に面白いと自分でホクソエンでいたら、昨夜、中学2年の男の孫が来て、言います。「じーじーのブログは面白くない!自己満足で書いているから面白くないのだ。大体、コメントが来ないではないか。コメントが沢山来るようなものを書きなさい!」

それは痛い所です。これには困りました。そういう批判も多いとは想像して居ましたが、面と向かって言われるとこたえます。

そこで私はブログの文章は読まなくても、写真だけでもを楽しんで頂けるように沢山写真を掲載しています。

その写真すらも詰まらないと孫が追い打ちをかけます。

これからは少しは面白い写真を撮るようにしますのでお許し下さい。

例えば下の写真は埼玉県の三郷公園側から東京都の水元公園側を見た写真です。この写真の意図は水元公園のスケールの大きさを表現したかったのです。このように説明文を付けないと面白くない写真はやっぱり失敗作ですね。でも気持ちがスッキリする写真ではありませんか?

自己満足と自慢はお終いにしまして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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高さ30mの梯子の上から撮った写真です

2011年02月04日 | 写真

昨夜、中学2年生の男の孫が来て写真をブログへ掲載してくれと言います。高さ30mのハシゴの頂上から自分で撮ったと言います。そしてどのようにして30mも登ったのかは明日明らかにすると言います。兎に角珍しい写真だから掲載の価値があると主張します。一番上の孫なので信用して掲載する次第です。

一番上の写真の右手の白い煙突の上に富士山がうっすらと写っています。小金井市から丹沢方面の右手に富士山が見えますが、こんなに高い位置に写るのは高いところから撮った証拠です。

二枚目の写真には、遥か府中市の駅近辺の高層マンションが幾つか写っています。その向こうに多摩の横山がウッスラと写っています。続報は明日掲載します。

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今日の水鳥の写真です

2011年02月04日 | 写真

水元公園に行き、水鳥の写真を撮ってきました。鳥は目で見るより小さく写っていて感動的な写真ではありませんがお送りいたします。家内が撮りました。

まず白鷺2羽が釣り人を見ている写真です。小魚を釣りあげ、後ろの白鷺へ餌として与えるらしく、根気良く何時までも待っていました。

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次はアオサギが飛んでいるところの写真です。3羽も4羽も悠然と飛んでいましたが撮れたのは1羽だけでした。ブログを見た家内から、もっと良いカメラが欲しい。ズームレンズがあれば・・・とか言われています。

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次は、カワウの写真です。バードサンクチュアリアの中の島に群がっていました。

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最後の写真は鴨類です。何処にでも居るので珍しくありませんが、広い水面を勢いよくスイスイと泳いでいて活気がありました。水の向こう側のメタセコイアの林が清々しい感じでした。

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下手な写真ですが、澄んだ青空のもと、新鮮な空気の中を散歩していることを想像しながらお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)


真冬に乱舞する蝶のはなやかさ

2011年02月04日 | 写真

入口を入ると下の方に大きな温室が広がっていて花々が咲いています。熱帯の草花です。すり鉢のように道がらせん状に下の方へ続いています。花の良い香りがします。突然、蝶々の群れが空中を舞っている事に気がつきました。夢の楽園に迷い込んだのです。

多摩動物公園にある昆虫館の別館の蝶々の温室です。体育館ぐらいの広さですが底のほうが小さく、低くなっていて、斜面に熱帯の花が咲いています。

飛び回る蝶々の軽やかさ、色彩の美しさに息をのみました。真冬に蝶が乱舞しています。

しばらく見とれていましたが、写真を撮ることを思い出しました。今日はキャノン一眼レフの高級カメラを息子から借りていたのです。シャッターを押すと連続的に写真が写ります。ズームも効きます。

さんざん撮って、家に帰り、コンピューターへ取り込んで、1枚、1枚と目を凝らして見ました。飛んでいる蝶が一匹も写っていないのです。あんなに群れをなして飛んでいた美しい蝶の群れが一匹も写っていません。自分の撮影技術が下手過ぎたのです。

しかしあの真冬の蝶の群舞の姿、甘い花々の香りは私の心に焼き付いています。そんな様子を想像しながら下の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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動物達の写真を撮りました

2011年02月03日 | 写真

多摩動物公園で散歩しながら動物達の写真を撮って来ました。動物達は暖かい陽射しのなかで寝ています。見物人のほうを向きません。写真を撮るのには根気が要ります。

考えてみると北海道の旭山動物園の動物達は活き活きしていて見物人の方へ顔を向けていました。そうするように育て、訓練したのです。その努力の大変さが今日理解出来ました。多摩動物公園の動物達は飽食して、昼寝をしているだけです。

見物客へは見向きもしません。テレビで見る野生の動物達の方が敏捷に走り回っています。

動物園は見物客へ動物を見せる事の他に絶滅種の保存としての役割が重要だと思いました。

都立動物園は上野動物園と井の頭動物園と多摩動物公園の3つですがそれぞれの立地環境が違い、それぞれ少しずつ役目が違うのでしょう。人間にみられてストレスが溜まって、食欲の無くなった動物の保養所としては多摩動物公園が一番良いと思います。広く、空気が良くて、お客が少ないのです。

それはそれとして、今日撮って来たヒョウ、アフリカゾウ、キリン、シマウマ達の写真をお送りいたします。

079 064 057 055 そして、さらにオランウータン、オオカミ、アジアゾウ、カンガルー、トナカイ、コウノトリ、シマウマ、ライオンの写真をお送り致します。

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