後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「絶滅危惧種のシラサギソウの花」

2021年12月19日 | 写真
絶滅危惧種のシラサギソウの花はラン科ハベナリア属の花です。
羽ばたく白鷺(しらさぎ)のような形をしているためしらさぎのランとも呼ばれます。
近年、数が減少しており準絶滅危惧種に指定されています。
花言葉は「夢でもあなたを想う」です。
https://twitter.com/wld_hana/status/1131905023774846976?lang=fa





「今日の『待降節第四の主日のミサ』の動画配信」

2021年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
ミサの動画配信は以下の通りです。12月19日10:00時
『待降節第主日 ミサ 』

カトリック関口教会、
 待降節第四主日 
https://www.youtube.com/watch?v=xJpXJULIiO4
12月19日10:00 

司式 天本昭好神父(主任司祭) 
入祭の歌 典301 天よ露をしたたらせ あわれみ賛歌 
カ典405 答唱 典80①②⑤ 神よわたしに目を注ぎ 
アレルヤ唱 典257 待降節第4主日   
 信仰宣言 使徒信条(2) 
奉納の歌 典371 しあわせなかたマリア 
感謝・平和の賛歌 カ典407・408
拝領  典167 わがこころ喜びに 
閉祭の歌 典372 救い主を育てた母

聖イグナチオ教会 、12月19日10:00時
『待降節第四主日 ミサ 』
https://www.youtube.com/watch?v=sK6NXw651cw


今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

添付した写真は2016年に訪れた五島列島の井持浦天主堂の写真です。 






「絶滅危惧種ヒゴタイの花」

2021年12月18日 | 写真
  キク科の多年草。日当たり・水はけのいい高原などに自生する。草丈は1m前後で、葉はアザミに似て切れ込みが深い。8~9月頃、茎の先端に直径4~5cmほどの瑠璃色の花を付ける。無数の小花が集まったきれいな球形。日本がユーラシア大陸と陸続きだった氷河期時代の生き残りの〝大陸系遺存植物〟といわれる。花姿が似た植物に地中海沿岸地方原産のルリタマアザミ(瑠璃玉薊)がある。



「風雲急を告げるウクライナ情勢-ロシアの侵攻の可能性」

2021年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
ウクライナという国はロシアの西に隣接していて常にロシアの軍事進攻の危険にさらされている国です。昔の米ソ冷戦時代はソ連の穀倉として有名な農業地帯で軍需産業も進歩していました。
しかし1990年頃のソ連崩壊後はロシアと対立、抗争する国になったのです。こんな情勢なのでアメリカ陣営はウクライナを北大西洋条約機構、NATOに引き入れようとしています。ウクライナ情勢は風雲急を告げているのです。   
ウクライナは大地が広がり美しい国です。まずその風景写真を見てみましょう。




写真で示したような平和なウクライナに関して、昨日ロシアがアメリカとNATOに新しい提案を出したのです。アメリカ陣営がこの提案を守ればロシアは絶対にウクライナへ軍事侵攻しないと言うのです。
このニュース記事を以下に示します。
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「ロシア ウクライナ情勢めぐり 米とNATOに新協定の草案」、

緊張が高まっているウクライナ情勢をめぐって、ロシアはアメリカとNATO=北大西洋条約機構に対して、緊張緩和に向けて新たに締結したいとする協定などの草案を示しました。
この中でNATOのさらなる拡大やウクライナなどでのいかなる軍事活動も行わないと保証するよう求めています。
ロシアのリャプコフ外務次官は17日、記者会見を行い、アメリカとNATOに対して、ウクライナ情勢の緊張緩和に向けた新たな協定などの草案を示したことを明らかにしました。

この中でロシアは、NATOが、ウクライナの加盟など、これ以上の東への拡大をしないと保証するほか、NATOに加盟していない旧ソビエト諸国やヨーロッパ東部で、いかなる軍事活動も行わないことなどを求めています。
またアメリカに一方的に示した条約の草案では「軍の部隊や兵器を、自国の領内を除いて、相手国の安全保障上の脅威と認められる地域に展開することを控える」としています。
リャプコフ次官は会見で「近年、アメリカやNATOが行ってきた、情勢を緊迫化させる敵対的な行為は全く受け入れられず、極めて危険だ。もはや選択の余地はない」と強気の姿勢を示しました。
そのうえで「あすにでもアメリカと交渉する準備はできている」と述べ、アメリカ側に速やかに交渉に応じるよう迫りました。
ロシアのプーチン政権は、隣国のウクライナへのNATOの関与を安全保障上の脅威ととらえていて、欧米との決定的な対立は避けつつも、この地域でのアメリカの影響力を排除したい考えです。

アメリカ高官「いくつかの点は受け入れられない」
アメリカのバイデン政権の高官は17日記者団に対し、ロシア側から草案を受け取ったとしたうえで「いくつかの点は受け入れられない」と述べました。
ただ、具体的にどの点が受け入れられないのかは明らかにしませんでした。
一方で「そのほかの点は協議の用意がある。ヨーロッパの同盟国などと議論していくことになる」と述べ、NATO=北大西洋条約機構の加盟国と連携して対応する考えを強調しました。

NATO事務総長「決めるのはウクライナ」
ウクライナの加盟について、NATO=北大西洋条約機構のストルテンベルグ事務総長は16日にウクライナのゼレンスキー大統領と行った記者会見で「ウクライナが歩む道を決めるのは主権国家のウクライナであるし、ウクライナがNATOに加盟する準備が整ったかを決めるのはNATOの加盟国だ。われわれは今後も加盟国になるためのウクライナの努力を支援する。ロシアと対話する用意はあるが主権国家の権利で妥協することは決してない」と発言しています。 
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分かり易く言えば、アメリカはウクライナや中央アジア諸国をアメリカ陣営に入れたいのです。そうすればアメリカ陣営はロシアの包囲網を作れるのです。
その上、中国に対して西側から軍事的圧力をかけられのです。一石二鳥です。ロシアと中国は、そうやすやすとアメリカの思惑通りさせません。

アメリカとNATOがロシアと交渉が平和的に妥結することが一番望ましいのです。そうすればロシアの軍事侵攻も起きません。このことは中国が台湾に対する軍事侵攻にも関係していると私は考えています。
とかく戦争は連動して起きます。常に世界の動きを注意深く観察し考えたいものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「奄美大島に一夜だけ咲くサガリバナの写真」

2021年12月17日 | 写真
サガリバナは奄美大島以南に生育する常緑小高木です。花は白または淡紅色で、夜に咲き、翌朝には散ってしまいます。甘い香りがするのです。
写真の出典は、https://amamishimbun.co.jp/2020/08/12/26567/ です。
幻想的で美しい動画は、https://www.youtube.com/watch?v=B_C_GaJwhfw にあります。是非ご覧下さい。



「Face Book の友人が送ってくれた1枚の懐かしい写真」

2021年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はFace Book の会員の友人のKazuo Takahasi さんがが送ってくれた1枚の懐かしい写真のはなしを致したいと思います。この話はインターネットの奇跡のようなものです。
その1枚の懐かしい写真は祖父が住職をしていた兵庫県の正林寺の古い写真です。80年ほど前、私が子供のころ毎夏を過ごした寺の写真です。写真を見て当時のことが細かいことまでアリアリと鮮明に思い出したのです。写真の威力です。
お寺は大阪駅から阪急電鉄で能勢口駅で乗り換えて行きます。兵庫県猪名川町 の内馬場という集落にありました。送って下さった写真を示します。
1番目の写真は80年ほど前、私が子供のころ毎夏を過ごしたい寺の写真です。もっともこの写真には鐘楼が写っていないので本堂が出来たばかりの頃の古い写真です。
2番目の写真は80年ほど前の内馬場によく似た農村の写真です。
Google マップの航空写真で現在の内馬場を見ると水田が消え新し住宅街になっています。大阪の通勤圏なのです。現在の正林寺は奥に引っ越して昔の正林寺の跡地は空き地になっています。
幼少のころの祖父の思い出はたった一つだけです。私を本堂の脇の客殿に連れて行き戸棚から煎餅の缶を取り出して1枚くれたのです。白髪と長い髭が印象的でした。祖父は間も無く亡くなり叔父が住職になりました。思い出深い光景はその叔父が毎夏開催する大がかりな施餓鬼供養の光景でした。
3番目の写真は曹洞宗の施餓鬼供養の光景です。正林寺の施餓鬼供養はもう少し小規模でた。僧侶の数が15人位でした。それでも銅鑼や鐘を打ち鳴らし華やかな儀式でした。本堂の左右の客間には内馬場の村人がびっしり座っていました。
4番目の写真は曹洞宗の法要の様子です。正林寺でも時々ありました。法要の時は私も後ろの方に座って一緒にお経をあげます。
さて施餓鬼供養は重要な儀式なのでその意味を説明しておきます。
施餓鬼供養とはお盆の時期に行われることが多い仏教行事です。
餓鬼とは亡者の世界に落とされた魂や無縁仏のことです。常に飢えと乾きに苦しんでいます。
施餓鬼供養とはそういう餓鬼たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことです。
施餓鬼供養はお寺でするだけでなく、僧侶が檀家を廻って先祖の供養を行うと同時に餓鬼も供養するのです。私も住職だった叔父についてこの檀家廻りをしました。各家々で先祖の供養と餓鬼の供養をして回ったのです。
さてそれはそれとして話をKazuo Takahasi さんのことに戻します。彼は土佐のご出身で現在は兵庫県の川西市にお住まいです。私が12月8日 に掲載した、「山里のお寺の子供僧になった不思議な体験とアイスクリーム」 という記事をご覧になって、ご親切にも現在の正林寺を訪ねたくれたのです。そして昔の正林寺の写真をお送り下さったのです。有難いです。
その古い写真を保存していて快く提供してくれた現在の正林寺の大黒様へも感謝しています。
5番目の写真は現在の正林寺です。〒666-0241兵庫県川辺郡猪名川町内馬場字北谷165-2 にある立派なお寺です。
詳しくは、HPの、http://sp.raqmo.com/syorinji/ をご覧下さい。

それにしても現在の日本には善意の人々がいるのです。そしてインターネットの威力は凄いものです。
今日は最近の私の感動的な体験を書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「昭和初期の女性のファッションの写真」

2021年12月15日 | 写真
当時の女性は和服が主でした。しかし昭和になって次第に洋服が普及したのです。
女性のファッションも大きく動いた転換期の時でもありました。
これらの写真は当時の先端的な女性の写真のです。
写真の出典は、https://tripeditor.com/12628 です。





「師走とお正月の花々の写真」

2021年12月15日 | 写真
師走やお正月の季節の野山は寒すぎて花々がありません。それでも寒さにめげず屋外に咲いている花があります。師走のロウバイと水仙の花、そしてセンリョウ(仙蓼/千両)やマンリョウ(万両)があります。
年が明けるとマンサク、サンシュユ、紅梅白梅が咲きます。その上、栽培種の西洋サクラソウやパンジーやシクラメンが花屋の店先を華やかにします。
今日はこれら師走とお正月の花々の中から順にロウバイ、紅梅、ヒイラギモクセイ、センリョウの4枚の写真をお送り致します。
1番目の写真はロウバイです。
2番目の写真は紅梅です。
3番目の写真はヒイラギモクセイです。
4番目の写真はセンリョウです。


「昭和時代の農村風景と疎開の思い出」

2021年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム
当時住んでいた仙台市は1945年7月10日に100機のB29の焼夷弾空襲で完全に焼け野原になりました。焼け野原になった10日後に小学3年生だった私は弟2人と共に3人だけで宮城県北部の農村に疎開しました。都会からいきなり農村に行ってみると生活条件が非常に違うので驚き、そして悲しい思いをしました。
今日はまず昭和時代の農村の風景写真を示し、疎開生活の思い出を少し書いてみようと思います。

1番目の写真は私が疎開した農村によく似た農村の風景です。写真の出典は、

2番目の写真は昭和時代の農家の風景です。大八車の左にある箱型の装置は脱穀した米と籾殻を風で分ける装置です。重い米粒だけ下から出てきます。
写真の出典は、https://kodaira-tourism.com/spot/1284/ です。

3番目の写真は昭和21年に撮影された田植えの風景です。一人の男だけ兵隊服を着ています。復員して来た直後のようです。
この写真と続く2枚の写真の出典は昭和21年に米軍の戦略爆撃調査団が日本各地の戦争被害を撮影したフィルムです。https://ima.goo.ne.jp/column/article/4202.html
4番目の写真は農婦が畑に肥料の人糞を運んでいる風景です。占領軍はショックを受け日本の野菜を絶対に食べませんでした。野菜は全てアメリカから運び込んで、しばらくすると独自に清浄栽培していました。

5番目の写真は子供達と一緒に農作業をしている長閑な風景です。
子供達は丁度我々3人と同じ年恰好のように見えます。
さて疎開生活の思い出で印象深かったことは囲炉裏の大鍋で一家の夕食を作ることでした。大鍋へ 畑から採って来た野菜をいれ味噌を加えて煮ます。そこへ小麦粉をこねて親指の形にした塊を次から次へと放り込むのです。これを囲炉裏の回りに座った一家と疎開者の我々が椀によそって貰ってフーフー言って食べるのです。
毎日、毎日、夕食はこの「すいとん」でした。
米は朝に一回だけ大きな釜で炊き上げます。朝食はご飯と囲炉裏で煮た味噌汁と漬物でした。昼は朝に焚いたご飯で弁当を作り当時通っていた田舎の小学校へ持っていきました。おかずは漬物だけでした。
時折父母が仙台から疎開先にやって来てお土産としてクジラのベーコンを持って来ました。それが驚くほど美味しかったのです。
最近店でクジラのベーコンを売っているのを見つけました。驚喜して買ってたべました。ところが不味いのです。生臭くてとても食べられません。あの美味しかったクジラのベーコンは幻のように消えてしまったのです。
疎開生活の思い出はいろいろありますが今日はこれぐらいにしておきます。

嗚呼。あれから76年です。戦争に負けた日本も豊かになったものです。それにしても毎日囲炉裏の大鍋で煮た「すいとん」が懐かしいです。家内は鎌倉から群馬県の下仁田へ一家で疎開したので、生活条件は良かったようです。疎開の思い出は山の生活が珍しかったようでいつも楽しそうに話します。最近まで年に一度下仁田 小学校のクラス会に出席していました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記」

2021年12月13日 | 日記
6時39分起床。コ-ヒーとトーストの朝食。
ブログに「日記とは何でしょうか?」と題する記事を書く。
昼食は昨日の残りのカレーとオニギリ1個。
午後に車で武蔵国分寺跡の広場に行きました。家内は走り回って写真を撮り、その間私は車中で昼寝。

1番目の写真は正面から撮った武蔵国分寺の本堂の跡です。

2番目の写真は東側から撮った武蔵国分寺の本堂の跡です。写真の左の一段高くなっている場所に本堂がありました。

3番目の写真は本堂から南東に100m位離れた場所にあった七重塔の跡です。武蔵国分寺の創建は8世紀半ばの750年代末から760年代初と推測されています。

4番目の写真は七重塔の説明文です。武蔵国の国分寺は元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで焼失しました。約580年間存在していました。

自宅に帰ってこの日記を書いています。これから風呂に入ります。
夕食は昨日角上魚類から買ってきた魚と野菜の煮物、卵焼きを食べます。ビール1缶とカティサークを飲みます。
テレビを見て10時に寝ます。

それにしても仕事を一切止めにした70歳からは実に楽しい日々が続きます。現在85歳です。現役の間は緊張して結構大変な日々を送っていました。家内も老後は楽しいと言っています。
今日の日記でした。


「温室の花の写真をお楽しみ下さい」

2021年12月13日 | 写真
寒い冬には温室の花の写真をお楽しみ下さい。
写真の出典は、https://jp.123rf.com/photo_13052530_%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%81%A8%E5%86%AC%E3%81%AE%E5%BA%AD%E3%81%AE%E6%B8%A9%E5%AE%A4%E3%81%AE%E8%8A%B1%E7%93%B6%E3%81%AE%E8%8A%B1.html  です。








「日記とは何でしょうか?」

2021年12月13日 | 日記
私は毎日ここに文章を書いています。日記のようなものです。しかし昔学校で「日記とはその日にあったことを書く。そして他人には見せてはいけない。」と教わりました。私の家内はこのような教えを忠実に守っているのです。それも5年間使える日記帳に書いています。私は見たことがありませんが、家内が、「5年前の今日こんなことがあった」と独り言をよく言います。書いてあることは実に個人的な出来事です。事実の記録なのです。その独り言を聞くたびに日記の面白さが分かります。
そこで今日は純粋な日記を書いてみます。昨日私個人にあった出来事です。
朝は6時半に起きました。朝食後、教会のミサに行きました。

1番目の写真は教会の昨日のミサ風景です。
教会のミサから帰って昼食をとりました。小麦粉とカレー粉を使った昔風のカレーを自分で作って食べました。懐かしい味でしたが不味かったです。家内は別のカレーを作り美味しそうに食べていました。粉を入れない純粋のカレーです。
午後は日野市にある角上魚類という大きな魚店にいろいろな魚を買いました。冷凍の金目鯛、カジキマグロ、メルルーサ、生のタラ一尾、カレイの切身、生のアナゴの割いたもの、アンコウの切り身、ワタリガニのぶつ切りなどです。家内は刺身のサーモン、鰤、鮪を買っていました。帰宅後、冷凍庫にしまい、ゆっくり食べていく予定です。
2番目の写真から5番目の写真は角上魚類店で撮った写真です。




私は戦前、戦後に塩釜漁港に近い仙台で育ったせいでイワシやニシンを毎日のように食べていました。昔は冷凍技術が無くて魚は活きが悪いものでした。氷が無くて塩着けしか出来なかったのです。
ですから写真で示したように活きの良い魚の姿を眺めると感動してしまうのです。
夕食は買って来たアンコウの切り身を味噌で煮たものでビールを1缶飲みました。その後でスコッチのカテーサークを少々飲みました。家内は泥臭いアンコウを敬遠してタラの切り身をちり鍋にして食べていました。アンコウは正直泥臭く不味かったです。しかし昔は美味しかったのです。
結論です。昨日の昼食は不味い粉っぽいカレーを食べました。夜は泥臭く不味いアンコウを食べました。どちらも昔美味しかったのです。懐かしかったのですが不味かったです。でも精神的には豊な気分です。家内がそんな私を不思議そうに見ていました。
夕食後はテレビで「ポツンと一軒家」を見て10時に寝ました。
以上が私の昨日の出来事を書いた日記です。

皆さまが活きの良い魚の写真を見て、お楽しみ頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「クリスマスが近づいて来たので美しい季節の写真をお送り致します」

2021年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は待降節の第三の主日です。クリスマスが近づいて来たのです。
この季節にはカナダ、アメリカ、フランスの街々が美しいイルミネーションで飾られます。そのクリスマス風景の写真をお送りします。
写真の出典はすべて、http://www.moshtravel.com/christmas-around-the-world/ です。

1番目の写真はカナダ東部にある都市ケベックでのクリスマス風景です。店の前にクリスマスツリーも並べられ、クリスマスの雰囲気満載です。

2番目の写真はアメリカ、カリフォルニアの町の風景です。
停められたシボレーの車の後ろには、イルミネーションが輝いています。

3番目の写真はニューヨークです。
屋外に設けられたスケート場です。高層ビルに囲まれた中でのスケート場です。

4番目の写真はニューヨークのタイムズスクエアです。かなり雪が降っていますが、世界一華やかな交差点だけあって、独特の雰囲気があります。

5番目の写真はフランスのパリです。
パリの通りでは木に設置された青いイルミネーションがずっと続いています。

日本にも各地に美しいイルミネーションが華やかに輝いています。聖夜を静かに待っている日本の教会の写真もお送りいたします。
6番目の写真は長崎の国宝、大浦天主堂です。

7番目の写真は五島列島の教会です。
さて次に聖歌のYouTubeをお送りします。
URLをクリックしてお楽しみ下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=5Zw33qcJ12Y&list=PLKFzvc3KMkE03vHmFzeDTR22dCevw9yaV

https://www.youtube.com/watch?v=wzCCUZRoo2Y&list=PLKFzvc3KMkE03vHmFzeDTR22dCevw9yaV&index=2

https://www.youtube.com/watch?v=9MDGOjzjj3k&index=3&list=PLKFzvc3KMkE03vHmFzeDTR22dCevw9yaV

https://www.youtube.com/watch?v=m8JP7fSwljo

https://www.youtube.com/watch?v=7IYCfI6FRmU

このクリスマスの季節は心が浮き浮きします。皆様も楽しくこの季節をお過ごし下さい。クリスマスが終わると楽しいお正月もやって来ます。
楽しい季節ですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)