相変わらずアップダウンが続く道。
「梛(なぎ)の木石碑」。
弘化元年(1844年)江戸城に大火がありその際、この中瀬谷の「島津久利」が、薩摩から取り寄せた梛の木の苗を植樹して育てたものを伐採して、中原街道を江戸まで急送して江戸城を復興させたという。
※梛木・ナギの木は古来から縁起がいい植物とされ、日本各地の神社でご神木とされているほか、呼び名が凪(なぎ)に通じることから、海の安全のお守りともされている。
20m以上の大木になり、葉脈に沿った方向に引っ張ると、なかなか引きちぎれないことから、「チカラシバ」「センニンリキ」「ベンケイナカセ」などの別名がある。
(「
」より)
※碑の周囲にはこうした巨木はありません。小さな空間にベンチが二つ。
「梛の木石碑前」バス停。
碑の前から振り返る。
先に進む。ゆるい上り坂。
右前方遠くに富士山。
けっこうはやっている味噌ラーメン店「麺場 田所商店」。
交差している道路は、「海軍道路(環状4号線)」。
海軍道路(瀬谷区・瀬谷中学校前交差点 - 瀬谷区・旧国道16号). 市内2位の長距離直線道路である。
元「上瀬谷通信施設」の西側を通っているため、通称「海軍道路」。
上瀬谷通信施設(かみせやつうしんしせつ)は神奈川県横浜市旭区上川井町と瀬谷区北町・瀬谷町に所在した在日アメリカ海軍基地(面積:2,422,396m2)。旧日本海軍の基地を第二次世界大戦後に接収して運し、2015年6月30日に施設を含めた土地全体が日本へ返還された。
旧日本海軍の倉庫施設として使用されていたものが、太平洋戦争の終戦により米軍に接収され通信基地となった。いったん接収解除されるも1951年に再接収された。返還時には部隊は常駐しておらず、在日米海軍厚木航空施設司令部の管理下となっていた。
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フェンス等で囲まれて事務所などが位置する囲障区域は立入禁止区域となっていたが、囲障区域外は農耕や野球場等の使用が認められているほか環状4号線(通称「海軍道路」)が通過して一般の通行が認められていた。海軍道路沿いは桜が多く植栽されて花見スポットとしても知られ、毎年4月の第1週目の土曜日に施設内の海軍広場で「日米親善桜祭り」が開催された。
瀬谷区の15パーセント (%) 近くの面積を占めていたことや本施設が海外からの微弱電波を受信する目的であったことから、同区の北半分は米軍から「電波障害防止地域」に指定されて1995年3月まで建物の高さ規制などが課され、瀬谷区の開発が遅れた。
上瀬谷通信施設周辺の空中写真
画像上方に東名高速道路の横浜町田インターチェンジ、左上から右側中央にかけて斜めに走る道路は国道16号・保土ヶ谷バイパス、通信施設敷地中央を南北に走る直線道路が通称「海軍道路」である。
1983年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
(この項「Wikipedia」より)
「地神前」バス停。
この先、左手に「地神」と彫られた石塔など数基がまとめられている。
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