おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

遅ればせながら初めての西武多摩川線

2010-05-11 22:44:27 | 鉄道遺跡
 ずいぶんと昔(昭和40年代前半)、国鉄時代。中央線武蔵境駅から出ていた西武線を横目で眺めながら通ったものだ。
 今、高架工事もほぼ終わって、武蔵境駅も様変わり。西武多摩川線も同じように高架になって、線路や駅舎は立派になったが、車両は何だか古めかしいまま。「春」にちなんだラッピング車両が走っていたのが興味深かった。
 この線。多摩川河原で採取した川砂利を運搬する目的で、1910(明治43)年8月に設立された多摩鉄道によって開業した路線。また戦中は中島飛行機の工場への引き込み線があり、沿線工場への貨物輸送にも利用された。
 1917(大正6)年には、境(現・武蔵境) - 北多磨(現・白糸台)間、1919年に北多磨 - 常久(現・競艇場前)間、1922年に常久 - 是政間が開業した。
 1927(昭和2)年に(旧)西武鉄道に合併され、同社の多摩川線となった。1950年に電化され、1967(昭和42)年に貨物輸送を廃止した。
 その後、アメリカンスクール、多磨霊園、多摩川競艇場のアクセス路線として活用されてきた。近年には沿線の宅地化が進み、また東京外国語大学、警察大学校、警視庁警察学校が多磨駅に近い関東村跡地に建設されたことから、輸送需要が増えつつある。
多摩川線は路線名の変遷が激しい。旧西武鉄道に吸収されとき、路線名は多摩線と呼ばれる。その後、路線名は是政線と名称変更され、後に更に武蔵境線と変更、そして現在の多摩川線に変更されて今に至っている。
 ワンマン運転を実施していて、運転士がドアスイッチを操作してドアの開閉を行うので、駅到着後ドアが開くまで少し間があたったのには、ちょっとびっくり(あれ、開かないのかな、と一瞬思ってしまう)。途中の駅は、新小金井、白糸台、多磨(「多摩」ではない)、競艇場前、是政との単線折り返し運転。他の西武線とはつながっていない。
 また、駅名も変わっている。例えば、「競艇場前」駅は、多摩鉄道時代には「常久」駅として開業。「白糸台」は、当初は多摩鉄道の北多磨駅として開業。駅名は当時の所在地名の北多摩郡多磨村に因んでいた。その後、「白糸台」駅に改称。なお、ちなみに現「多磨」駅はかつては「多磨墓地」駅だった。
 2005(平成17)年)、「競艇場前」駅は、 エレベーター設置のため1番ホーム(旧 武蔵境方面ホーム)を廃止。この日より、1面1線化となった。写真は、そのホームと線路跡。
 ところで、文中にある「関東村」の跡地。東京外語大学と道路一つ離れた場所にフェンスで囲まれて、その一部がほんの少しだけ残っている(残してある)。こんもりとした林が続くが、その敷地内に入ることは出来ない。また、南側には、広大な「武蔵の森公園」があって、その向こうには、調布飛行場がある。
 この土地の歴史。1965年のオリンピック開催のために、当時代々木にあった米軍施設と住宅(通称ワシントンハイツ)は選手村として使用されることになった(現在の代々木公園とその周辺)。このため、米軍関連施設は、府中基地周辺と調布飛行場周辺に移転されることになった。「関東村」は、調布飛行場近辺地域に移転してきた米軍施設や住宅を総称して付けられた名称。現在残っている廃屋は、いずれも敷地内の奥に位置しているため、その詳細を把握することはできないとのこと。痕跡マニアとしては垂涎の場所である。
 また、調布飛行場は、かつては旧帝国陸軍の帝都防空部隊基地であった。敗戦後、米軍に接収され、昭和47年(1972年)に返還された後、民間航空会社の飛行基地として使用されている(現在は、セスナ機などが飛び立つ。新島行きの飛行機もここから出ている)。
 けっこう見所の多い沿線ですね。
調布飛行場
東京外語大学
コメント
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