「羽根尾駅」。
群馬県吾妻郡長野原町大字羽根尾にある。開設から1982年(昭和57年)までは貨物取扱駅で、貨物列車発着のための駅長・駅員が配属され常駐していた。その名残で、構内はかなり広く、最大4本の側線を有していた。
吾妻線内で列車交換可能な駅としては最西端となる。(「Wikipedia」より)
旅客用本線2本、貨車用支線4本、90mの旅客ホームに125mの貨物用ホーム。貨物扱いのなくなった吾妻線で、現在全く使われていない設備がこの羽根尾駅構内に残っています。吾妻線が昭和46(1971)年に延伸した際に、この羽根尾駅は吾妻貨物線の拠点駅となるはずでした。お隣の嬬恋村(つまごいむら)といえばキャベツの生産地として有名で、そのキャベツを運ぶ貨物列車の拠点となるべく、この羽根尾駅開業時の設備投資は並々ならぬものがあったといいますが、紆余曲折あり、結局トラック輸送とコスト面でそれほど大差ないことがわかり、トラックの利便性の良さからも貨物でのキャベツ輸送は衰退。その拠点としてはほとんど機能することなく終わってしまいました。それでも貨物車の留置などの用途に使われましたが、吾妻線の貨物輸送は昭和57(1982)年3月に終了。この駅のホームからだだっ広い構内を眺めていると、哀愁さえ漂います。ホームは築堤上にあり、写真の入り口よりホームへの階段を上がる仕様になっています。また、反対側は貨物の敷地が広がっているばかりで、入り口はありません。行違い設備を持つ島式のホームには立派な上屋(屋根)まであります。
(この項「」HPより)
架線柱のみ残っている。
「袋倉駅」。
群馬県吾妻郡嬬恋村大字袋倉にある。利用客20人ほど。駅舎はない。
「万座・鹿沢口駅」に近づきます。
「万座・鹿沢口駅」。
群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原にある。嬬恋村の中心駅で、万座温泉の最寄駅。駅名決定に際して万座温泉と鹿沢温泉が互いに自らの名前を主張し譲らなかったことから、折衷案として現在の駅名となった。
大半の列車が当駅で折り返しとなり、吾妻線の終点である次駅の大前まで運転されるのは、現行ダイヤで下り4本・上り5本のみで、日中は6時間以上の間隔が開く。なお、2016年3月のダイヤ改正で特急「草津」(当時)の当駅への定期運行がなくなり、定期列車は普通列車のみとなった。
名称に「・」(中黒)が入る数少ない駅であり、JRの鉄道駅では唯一。(この項「Wikipedia」より)
※私鉄等の例
「栂・美木多」(泉北高速鉄道)
「大森・金城学院前」(名鉄瀬戸線)
「中央大学・明星大学」(多摩都市モノレール)
「大塚・帝京大学」(多摩都市モノレール)
「旧居留地・大丸前」(神戸市営地下鉄 海岸線)
「三宮・花時計前」(神戸市営地下鉄 海岸線)
・・・
(この項「」HPより)
「万座温泉」
万座温泉は海抜1,800m。
緑に囲まれた上信越高原国立公園内の中の高山温泉郷です。源泉は硫黄泉で約80度の高温。
湧出量は1日に540万リットルに達しています。
また、春は残雪と新緑、夏は避暑、秋は紅葉、そして冬はスキー。一年を通じて四季折々に楽しめます。
万座温泉の歴史はあまりにも古く、最初の発見が何時、誰によってなのかは明らかになっていない。
ただ、坂上田村麻呂が、万座温泉で鬼退治をしたという伝説が残っているのみである。
熊四郎岩窟からの出土品によって、先史時代には温泉の利用があったといたといわれている。
土器をはじめとする出土品からは、弥生時代には人の住居があったと推測されている。
今から600年前の文献によると、既に現在の場所に「まんざ」という地名の仮住みの集落があったことがわかる。仮住みということは、当時、寒さの厳しい万座では越冬できないものと考えられていたことがうかがえる。
また、400年ほど前には、土地の豪族・羽尾入道が万座温泉入湯の留守中に、鎌原城主に滅ぼされたという記録があり、既に万座温泉が多くの人に利用される温泉であったことがわかる。
昔から、豊富な湯量に恵まれ、泉質は20種類を超え、名湯中の名湯といわれていた。効能も多彩で、昔から呼吸器病や胃腸病、リウマチや皮膚病に効能があるといわれ、難病を治したというエピソードも数多く伝わっている。
(この項「万座温泉観光協会」HPより)
バス路線図。
「軽井沢駅」とも結ばれている。※本数は少ない。
あと一駅、終点の「大前駅」へ。
「万座・鹿沢口駅」でも、ほとんどの人が下車。「大前駅」に行く人はわずかです。
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