おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

吾妻(あがつま)線。その9。「川原湯温泉」。共同浴場「王湯」。旅館は移転によって20軒から6軒へ。「八ッ場大橋」。「八ッ場」の由来。

2024-09-17 20:28:57 | ローカル鉄道の旅

川原湯温泉付近の今昔。

                        (現在)。川原湯温泉は高台に移転している。

                     (1970年代)。谷間に集落が点在していた。

吾妻川に流入している沢。

共同浴場「王湯」入口。右奥に源泉配給用の大きなタンク。

遠景。

            

(「」HPより)

 川原湯温泉の温泉街にかつて20軒以上あった旅館は、水没に伴って残ったのは6軒だけでした。

   
       
①「山木屋」②「やまた旅館」③「民宿山水」④「ゆうあい旅館」⑤「丸木屋」⑥「やまきぼし旅館」
 
そのほか、飲食店・商店、美容室・理容室など。
 
     
 
左に「吾妻川」(ダム)に架かる橋が見えてきます。
 
 
「八ッ場大橋」。
ダムによって分断された新「川原湯」地区(右岸)と「川原畑」地区(左岸)を結ぶために造られた橋。
 
ダムサイト方向。
                
             八ッ場ダム本体が見えてきます。
 
    上流方向。
             正面に「不動大橋」。
 
ここで、「八ッ場」について
 
「八ツ場」と書いて「やんば」と読む。 珍しいが、この名はダムサイトの直上流に左支川として流入する小さな沢の名からきている。 この沢の名は、ダムサイト左岸の字名にもなっている。 ダム建設に伴い、川原畑、川原湯地区が全戸水没、横壁、林、長野原地区はその一部が水没。
 
※「八ッ場(やんば)」という地名の由来については、長野原町によるといくつかの説があるという。
一つ目は、谷間などに獲物を追い込んで矢を射かける場所である「矢場(やば)」が転じたという説。 二つ目は、狩をする場所に8つの落とし穴があったことが元となったという説。そして三つ目は、川の流れが急であることから、「谷場(やば)」が転じて「やんば」となったという説。いずれも狩猟に関係しており、この地に住む人々の暮らしと自然との密接な結びつきを表している。
 
(この項、「」HPより)

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