(10:00)「延命寺」。早咲きのヒカンザクラ。
延命寺の門前にある嘉永3年(1850)建立の庚申塔。
そのすぐ先には「FC東京パーク」。サッカーにはあまり興味なくスルー。
春の草木がそろそろ花を咲かせてきます。この先、沿道のおうちの庭も花々が。
手入れの行き届いたおうち。
梅。
竹林。保存地区になっています。
(10:18)右手にあるのが「なかまちテラス」。去年開館したばかりのようです。
なかまちテラス(小平市立仲町公民館・仲町図書館)
地域と育てる人と情報の出会いの場
全景。
語り手:中村 和幸(小平市立仲町公民館 館長)
上田 滋 (小平市立仲町図書館 館長)
聞き手:永沼 麻子(金剛株式会社 社長室)
―なかまちテラスは仲町公民館と仲町図書館が合築された複合施設との事ですが、複合化しリニューアルオープンに至った経緯を教えてください。
元々この場所は、昭和50年から小平市立図書館があり、その後、市立中央図書館が新しく移設され仲町図書館となった場所でした。この近くにあった仲町公民館も老朽化しておりましたので、両館を建て替える話が持ち上がりました。そこで、両館を合築する事で建物の管理の合理化もでき、そこに新しく生まれる可能性を地域に活かすという考えから、平成18年度から庁内で検討が始まったのがきっかけです。
建物は世界的建築家の妹島和世さんの設計で、まちのシンボルとなる様なデザイン性の高い建物になっています。住民説明会を数回行い、地域住民の意見や要望を伺いながら進め、平成27年3月14日にリニューアルオープンしました。
―開館に向けてどの様な取り組みをされたのでしょうか。
『みんなでつくる、みんなのなかまちテラス』をコンセプトに、“なかまちテラスLiNKSプロジェクト”を開館に向け活動する場として立ち上げました。地域住民や地元小中学校・大学生・地元商店会の方々と平成26年7月から開館までの約8ヶ月をかけて活動をしました。
LiNKSとはL(Library)=図書館、i(i)=私、N(Nakamachi)=仲町、K(Kominkan)=公民館、S(School)=学校を意味し、地域づくりの拠点となる施設にしたいという想いで名付けられています。
具体的な取り組みとしては、大きく3つあります。1つ目は「キックオフ!なかまちテラスの未来づくりワークショップ」、2つ目は「この指とまれ!なかまちテラスでやりたいこと大募集」、3つ目は「武蔵野美術大学との連携事業」です。
・・・
(HPより)
「小平消防署」の西付近から「小川宿」。
人馬の継立業務に便利なように道が広くなっているところも残っていて、現在も1車線分道路の幅が広くなっています。小平市の名前の「小」は、小川宿から来ているそうです。
(10:31)西武多摩湖線「青梅街道」駅。
駅前にある「なかまちテラス」周辺案内図(上が東)。
駅の裏手にこんもりした林に囲まれたおうち。
その先には大きな切り株が二つ。
しばらく進んで、右手にあるおうちの屋根の向こうに真っ白な花がたわわに。
家の方に断って中に入ってパチリ。「何という名の木ですか? 」「ハクレンです。一週間くらいが見頃で、そのあとは邪魔でね・・・」と言いながらもけっこう大切にしているようです。
注:「ハクレン」=「ハクモクレン(白木蓮)」。普通「モクレン」というのは、紫色の花を咲かせる「シモクレン(紫木蓮)」を指す。
見事にスクッと伸びたケヤキ。剪定も大変そう。
こうした大木が街路樹ではなく、沿道のおうちの庭にあるというのに、驚き。市としても「保存」活動を行っているようです。
「青梅街道」解説板。
慶長8年(1603)徳川家康が江戸に幕府を開き、同11年(1606)には江戸城の大改築を開始しました。これに伴い、当時重要な建築資材であった白土(石灰)を、その産地である現在の青梅市成木・小曽木から江戸城にに運搬するため、青梅から江戸の半蔵門まで武蔵野の荒野30数㎞を一直線に切り開いてつくられた道が青梅街道で、成木道とも呼ばれました。
途中、馬匹の中継所である馬継場が箱根ヶ崎・小川・田無・中野の4か所置かれましたが、小川村の開発者小川九郎兵衛も、明暦3年(1657)にこの地に馬継場を開設しました。
小川町2丁目の旧小川六番組から八番組にかけて、今も道幅が広くなっているところが当時の馬継場の跡地です。
土蔵造りの建物がある大きなおうち。
来た道を振り返る。
(10:43)しばらく進むと、JR武蔵野線「新小平」駅(地下)。
駅前の案内図(上が南)。↓が「青梅街道」。
小平市内の探訪案内図。見所がたくさんあります。
春を告げる花木が咲き始めています。
土蔵造りの建物が目立つ。
その先で「旧鎌倉街道」と交差します。鎌倉街道は各地と鎌倉を結んでいた旧道の総称で、ここはその内の「上道」と呼ばれる道が通っていました。
北方向。
南方向。
「(10:52)鎌倉街道」解説板。
鎌倉街道(小平市小川東町~津田町)
小川村が開発される前の小平はススキの生い茂る広漠たる原野でした。この原に天平の昔(730年頃)から府中の武蔵国府と前橋の上野国府を結ぶ1本の官道(東山道武蔵路)が通っていました。
その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開くとこの道は鎌倉街道と呼ばれるようになりました。
小平市域での道程はわずか2キロメートルに過ぎませんが、千数百年の歴史を有するこの道筋には「二つ塚」「石塔が窪」」「九道の辻」などの地名や史跡が残り、また場所は明らかではありませんが2か所の「まいまいず井戸」があったと伝えられています。
その先には派手な看板のお店「富士ノ山食堂」。
延命寺の門前にある嘉永3年(1850)建立の庚申塔。
そのすぐ先には「FC東京パーク」。サッカーにはあまり興味なくスルー。
春の草木がそろそろ花を咲かせてきます。この先、沿道のおうちの庭も花々が。
手入れの行き届いたおうち。
梅。
竹林。保存地区になっています。
(10:18)右手にあるのが「なかまちテラス」。去年開館したばかりのようです。
なかまちテラス(小平市立仲町公民館・仲町図書館)
地域と育てる人と情報の出会いの場
全景。
語り手:中村 和幸(小平市立仲町公民館 館長)
上田 滋 (小平市立仲町図書館 館長)
聞き手:永沼 麻子(金剛株式会社 社長室)
―なかまちテラスは仲町公民館と仲町図書館が合築された複合施設との事ですが、複合化しリニューアルオープンに至った経緯を教えてください。
元々この場所は、昭和50年から小平市立図書館があり、その後、市立中央図書館が新しく移設され仲町図書館となった場所でした。この近くにあった仲町公民館も老朽化しておりましたので、両館を建て替える話が持ち上がりました。そこで、両館を合築する事で建物の管理の合理化もでき、そこに新しく生まれる可能性を地域に活かすという考えから、平成18年度から庁内で検討が始まったのがきっかけです。
建物は世界的建築家の妹島和世さんの設計で、まちのシンボルとなる様なデザイン性の高い建物になっています。住民説明会を数回行い、地域住民の意見や要望を伺いながら進め、平成27年3月14日にリニューアルオープンしました。
―開館に向けてどの様な取り組みをされたのでしょうか。
『みんなでつくる、みんなのなかまちテラス』をコンセプトに、“なかまちテラスLiNKSプロジェクト”を開館に向け活動する場として立ち上げました。地域住民や地元小中学校・大学生・地元商店会の方々と平成26年7月から開館までの約8ヶ月をかけて活動をしました。
LiNKSとはL(Library)=図書館、i(i)=私、N(Nakamachi)=仲町、K(Kominkan)=公民館、S(School)=学校を意味し、地域づくりの拠点となる施設にしたいという想いで名付けられています。
具体的な取り組みとしては、大きく3つあります。1つ目は「キックオフ!なかまちテラスの未来づくりワークショップ」、2つ目は「この指とまれ!なかまちテラスでやりたいこと大募集」、3つ目は「武蔵野美術大学との連携事業」です。
・・・
(HPより)
「小平消防署」の西付近から「小川宿」。
人馬の継立業務に便利なように道が広くなっているところも残っていて、現在も1車線分道路の幅が広くなっています。小平市の名前の「小」は、小川宿から来ているそうです。
(10:31)西武多摩湖線「青梅街道」駅。
駅前にある「なかまちテラス」周辺案内図(上が東)。
駅の裏手にこんもりした林に囲まれたおうち。
その先には大きな切り株が二つ。
しばらく進んで、右手にあるおうちの屋根の向こうに真っ白な花がたわわに。
家の方に断って中に入ってパチリ。「何という名の木ですか? 」「ハクレンです。一週間くらいが見頃で、そのあとは邪魔でね・・・」と言いながらもけっこう大切にしているようです。
注:「ハクレン」=「ハクモクレン(白木蓮)」。普通「モクレン」というのは、紫色の花を咲かせる「シモクレン(紫木蓮)」を指す。
見事にスクッと伸びたケヤキ。剪定も大変そう。
こうした大木が街路樹ではなく、沿道のおうちの庭にあるというのに、驚き。市としても「保存」活動を行っているようです。
「青梅街道」解説板。
慶長8年(1603)徳川家康が江戸に幕府を開き、同11年(1606)には江戸城の大改築を開始しました。これに伴い、当時重要な建築資材であった白土(石灰)を、その産地である現在の青梅市成木・小曽木から江戸城にに運搬するため、青梅から江戸の半蔵門まで武蔵野の荒野30数㎞を一直線に切り開いてつくられた道が青梅街道で、成木道とも呼ばれました。
途中、馬匹の中継所である馬継場が箱根ヶ崎・小川・田無・中野の4か所置かれましたが、小川村の開発者小川九郎兵衛も、明暦3年(1657)にこの地に馬継場を開設しました。
小川町2丁目の旧小川六番組から八番組にかけて、今も道幅が広くなっているところが当時の馬継場の跡地です。
土蔵造りの建物がある大きなおうち。
来た道を振り返る。
(10:43)しばらく進むと、JR武蔵野線「新小平」駅(地下)。
駅前の案内図(上が南)。↓が「青梅街道」。
小平市内の探訪案内図。見所がたくさんあります。
春を告げる花木が咲き始めています。
土蔵造りの建物が目立つ。
その先で「旧鎌倉街道」と交差します。鎌倉街道は各地と鎌倉を結んでいた旧道の総称で、ここはその内の「上道」と呼ばれる道が通っていました。
北方向。
南方向。
「(10:52)鎌倉街道」解説板。
鎌倉街道(小平市小川東町~津田町)
小川村が開発される前の小平はススキの生い茂る広漠たる原野でした。この原に天平の昔(730年頃)から府中の武蔵国府と前橋の上野国府を結ぶ1本の官道(東山道武蔵路)が通っていました。
その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開くとこの道は鎌倉街道と呼ばれるようになりました。
小平市域での道程はわずか2キロメートルに過ぎませんが、千数百年の歴史を有するこの道筋には「二つ塚」「石塔が窪」」「九道の辻」などの地名や史跡が残り、また場所は明らかではありませんが2か所の「まいまいず井戸」があったと伝えられています。
その先には派手な看板のお店「富士ノ山食堂」。