(8:39)道標。「岩舟停車場 犬伏佐野方面 栃木小山方面」とあります。
ホームステイの青年もいよいよ我が家から勤める高校近くのアパートに引っ越し。そんな慌ただしい(はずの)本人は、それでもいたってマイペースな8月18日(土)。
明けて、19日(日)晴れ。
長く続いた熱波も少しおさまったようで、歩きやすい空模様。気温も30℃を下回る予定。
再び、「日光例幣使街道」の続き。JR両毛線「岩舟」駅から東武日光線「東武金崎」駅までと、でかけます。
3ヶ所、県道から左へ入る旧道があります。その2番目。「岩舟中学校←」の看板から左の小道へ。
「岩船山」が左手奥に。
3番目はコンビニの先を入ります。コンビニで買い物。
(8:58)県道との合流点に「御菓子司 蛸屋」。
「和泉」交差点の先を左に入ります。街道は今まで西から東に進んでいましたが、ここからは日光を目指し、ほぼ北向きに歩くことになります。
(9:07)「ふじや」さん。立派な蔵があります。
1880年代のようす。○が左折点。 2010年代のようす。
住宅地を進みます。
葉っぱが真っ白に縁取りされ、印象的。何という植物?
左手にある神社の脇を進む。
「県道11号線」に合流。横断して左斜めに進みます。
来た道を振り返る。
左手、弓形にカーブする道。
周囲に運輸倉庫などが続く中、里山が残っています。
栗の実がたわわに。
(9:35)しばらく進み、再び県道と合流。横断してコンビニの脇を進みます。
来た道を振り返る。
田んぼの緑が鮮やか。
「日光例幣使街道」の標識(↓)。
しかし、この道ではなく、旧道はその先の公園のところを左折します。
1880年代のようす。 2010年代のようす。↑が旧道にあたる。
そのまま進み、左からの道との合流点・右手に、赤い屋根のお堂。ここが「富田宿」の入口にあたるところで、木戸が設けられていました。
(9:45)「富田(とみだ)宿」。
注:「富田」を「とんだ」と読む資料もある。現在の地名表示では「とみだ」、JR両毛線の駅名は「とみた」。
富田宿が例幣使街道の宿駅となったのは、公式には正保3年(1646)からであるが、実際には元和3年(1617)徳川家康の霊柩を日光に埋葬する為、3月29日霊柩を奉護する行列がこの地を通行したときにはじまるということが出来る。
富田村の中を通過する往還の長さは「25町58間」(約2.83㎞)、そしてこの内富田宿を形成するのが「12町12間」(約1.33㎞)、宿の入口と出口にそれぞれ木戸が設けられた。
宿内の家並み。
(9:55)「日光例幣使街道 富田宿本陣跡」(碑)。和久井家。
「富田」交差点にベンチがあるので、そこで小休止。この交差点を右に行くと東武「新大平下」駅。「大平山ハイキング」で利用したことがあります。
注:「おおひら」の表記がものによって「大平」と「太平」と二つある。ちなみに神社の表記は「太平山神社」。東武線、JR両毛線の駅名はどちらも「大平」、町の名も「大平」。
ホームステイの青年もいよいよ我が家から勤める高校近くのアパートに引っ越し。そんな慌ただしい(はずの)本人は、それでもいたってマイペースな8月18日(土)。
明けて、19日(日)晴れ。
長く続いた熱波も少しおさまったようで、歩きやすい空模様。気温も30℃を下回る予定。
再び、「日光例幣使街道」の続き。JR両毛線「岩舟」駅から東武日光線「東武金崎」駅までと、でかけます。
3ヶ所、県道から左へ入る旧道があります。その2番目。「岩舟中学校←」の看板から左の小道へ。
「岩船山」が左手奥に。
3番目はコンビニの先を入ります。コンビニで買い物。
(8:58)県道との合流点に「御菓子司 蛸屋」。
「和泉」交差点の先を左に入ります。街道は今まで西から東に進んでいましたが、ここからは日光を目指し、ほぼ北向きに歩くことになります。
(9:07)「ふじや」さん。立派な蔵があります。
1880年代のようす。○が左折点。 2010年代のようす。
住宅地を進みます。
葉っぱが真っ白に縁取りされ、印象的。何という植物?
左手にある神社の脇を進む。
「県道11号線」に合流。横断して左斜めに進みます。
来た道を振り返る。
左手、弓形にカーブする道。
周囲に運輸倉庫などが続く中、里山が残っています。
栗の実がたわわに。
(9:35)しばらく進み、再び県道と合流。横断してコンビニの脇を進みます。
来た道を振り返る。
田んぼの緑が鮮やか。
「日光例幣使街道」の標識(↓)。
しかし、この道ではなく、旧道はその先の公園のところを左折します。
1880年代のようす。 2010年代のようす。↑が旧道にあたる。
そのまま進み、左からの道との合流点・右手に、赤い屋根のお堂。ここが「富田宿」の入口にあたるところで、木戸が設けられていました。
(9:45)「富田(とみだ)宿」。
注:「富田」を「とんだ」と読む資料もある。現在の地名表示では「とみだ」、JR両毛線の駅名は「とみた」。
富田宿が例幣使街道の宿駅となったのは、公式には正保3年(1646)からであるが、実際には元和3年(1617)徳川家康の霊柩を日光に埋葬する為、3月29日霊柩を奉護する行列がこの地を通行したときにはじまるということが出来る。
富田村の中を通過する往還の長さは「25町58間」(約2.83㎞)、そしてこの内富田宿を形成するのが「12町12間」(約1.33㎞)、宿の入口と出口にそれぞれ木戸が設けられた。
宿内の家並み。
(9:55)「日光例幣使街道 富田宿本陣跡」(碑)。和久井家。
「富田」交差点にベンチがあるので、そこで小休止。この交差点を右に行くと東武「新大平下」駅。「大平山ハイキング」で利用したことがあります。
注:「おおひら」の表記がものによって「大平」と「太平」と二つある。ちなみに神社の表記は「太平山神社」。東武線、JR両毛線の駅名はどちらも「大平」、町の名も「大平」。