おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR両毛線「岩舟」駅~東武日光線「東武金崎」駅。その5。(「日光例幣使街道」。第5日目。)

2018-08-29 20:48:36 | 日光例幣使街道
                                左手、「舘野家住宅店舗」。昭和7年建設。

 (13:01)「万町」交差点を左に曲がり、すぐ右手に入って行きます。その角に大きな案内図。
                 
                    「嘉右衛門町重要伝統的建造物群保存地区」案内図

 保存地区は、栃木市の中心部(旧栃木宿)の北に位置し、天正年間(1573年~1592年)に新田開発され、その後発展した嘉右衛門新田村を起源としています。
 地区の西側には巴波川が流れ、地区の中央には南北に日光例幣使街道が通り、江戸時代から商家が軒を連ねていました。
 保存地区は、日光例幣使街道に沿って形成された敷地割をよく残し、江戸時代末期から近代にかけて建築された見世蔵や真壁造り店舗、土蔵などの伝統的建造物が残り、街道沿いに発展した在郷町の特色ある歴史的景観を伝えています。

 「東海道」にもあったような宿場通りという印象で、なかなか落ち着いた風情の家並みが続きます。電柱がなければ、なおすばらしい。
 
                                             洒落た郵便受け。
建築中のおうちも伝統に沿ったつくり。「昔の仕事を今に伝える とちぎ蔵の街」。意気込みやよし。

「岡田記念南館」。

                             

道の曲がり具合も旧道らしく。振り返って望む。

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  (HPより)


(13:07)すぐ右手に岡田家の大きな屋敷。畠山氏の陣屋となっていました。現在は「岡田記念館」。
                        畠山陣屋跡」碑。

 当岡田家は遠くは京都三条の出と言われています。後醍醐天皇が滋賀に行幸なされお病気になられた際、オオバコを煎じて献上したところ、たちどころに病がお治りになった功績から、天皇から家紋を賜わりました。下の写真がその家紋でオオバコを意匠としたものです。
           
 武士として後醍醐天皇に仕えていましたが、天皇が隠岐の島に流された後、足利幕府に仕えました。江戸時代慶長の頃帰農し、士豪として栃木に移住しました。栃木の荒地を開墾し、徳川家から「嘉右衛門新田村」という名称を賜り、以後代々の当主は嘉右衛門を襲名し、当代で26代となります。当地の嘉右衛門という地名の由来となっております。
 日光例幣使街道の開設に伴って名主役を、また畠山氏の知行となると屋敷内に13ケ村の陣屋が設けられ代官職を代行するなど、地域発展のために寄与しました。
 一方歴代当主は芸術面にも関心が深く、巴波川の舟運や街道の往還を通して、文人、墨客が訪れていました。明治時代には画家富岡鉄斎との特別な親交があったのは特筆すべきことです。蔵には、この鉄斎作で栃木県文化財の韓信堪忍図をはじめ、文人の松根東洋城、陶芸家の板谷波山、竹芸家の飯塚琅斉等の作品が展示してあります。
 また、宝暦10年から146年分の日記も保存されています。この、岡田家の古文書から、幕末に江戸城大奥に「美恵」「るい」という二人の娘が行儀見習いに上がったことが記されていました。大奥には幕臣の子女が奉公に上がることがほとんどだったのですが、地方の豪農商の娘が礼儀作法や高い教養を身に着けるために江戸城に奉公することは稀ながらあったそうです。ちょうど「篤姫」の時代でした。
 岡田家の中興と言われる22代の当主は雅趣に富み、隠居後70歳で別荘建築を発起しました。銘木を吟味し、練達の工匠が技を競い合って作り上げた別荘が翁島です。大正建築を代表する建物で国の登録文化財に指定されています。
 この岡田記念館は25代当主が、邸内を広く一般に開放し、岡田家所蔵の品々を展示することにより栃木市の観光に寄与しようと昭和53年6月に開館しました。現在まで多数の観光客が訪れました。、また近年はテレビ、映画のロケ地としても利用され、西田敏行さん、宮沢りえさん、黒木瞳さん、本木雅弘さんなど、数多くの芸能人の方が撮影にいらっしゃっています。
                         

(以上、「岡田記念館ホームページ 旧家の魅力」 〒328-0072 栃木市嘉右衛門町1-12TEL0282(22)0001より)

 なお、岡田家の現当主・26代嘉右衛門氏は、栃木駅前で「岡田皮フ科耳鼻咽喉科クリニック」を開業しているそうです。

先に進みます。 

その先には、道標を兼ねた「庚申塔」。「右 小作道 日光道 左 三日月道」とあるとのこと。


                  「日光例幣使道」。

 (13:21)左手に「味噌・田楽 油屋傳兵衛」。創業天明元年(1781年)とあります。通称「あぶでん」。


                       

 江戸天明元年に油屋として創業し、江戸末期より味噌の製造をはじめました。天然醸造の味噌を使った田楽は深みのある味です。
 (投稿より)

来た道を振り返る。すてきな散策路。

大島肥料店」見世蔵。
 大島家は、江戸末期から肥料商を営んできた旧家で、旧日光例幣使街道に面した見世蔵(店舗)は、棟札より初代元平が明治15年に建設したことがわかる。・・・1階内部には帳場・箱階段及び押入を設け、その他は土間としている。・・・栃木市の商業の最盛期に当たる明治前期に建設された典型的な見世蔵は、市内でも数少ない事例であり、大変貴重なものとなっている。・・・

 (13:21)その先が二股になっていて、「日光例幣使街道」の新しい道標があります。「→日光道 ←足尾道」とあります。
 
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