おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

新京成線「薬園台」駅~京成本線「佐倉」駅。その4。(「佐倉街道」をゆく。第2日目。)

2019-04-01 20:44:54 | 佐倉街道
                              「雷電為右衛門」の手形。

「手繰橋」を渡ってすぐ左の坂道を上ります。

                                  

「臼井台」の住宅地をくねくねと上っていきます。

坂を上りきったT字路に道標があります(↓)。
 


 
「(正面)右 成田ミち (右面)左 江戸みち (左面)西 さくば道」
「(裏)文化丙寅歳正月二十八日 願主 新吉原仲之町 伊勢屋半重郎  宿 太田屋」

文化丙寅(3年)= 1806年 

右折した先に「雷電為右衛門顕彰碑」の案内板があります。
 江戸時代の寛政から文化年間にかけて無敵を謳われた名大関雷電為右衛門(1767~1825)の等身大(1㍍96)画像に佐久間象山(1811~64)府での11文字を配した巨大な顕彰碑が妙覚寺(この奥に入る)境内にあります。
雷電没後153年の命日に因んで建立されたものです。

 案内に従って坂道を下って行くと、
 
雷電為右衛門 相撲史上不滅の足跡を残した古今の最強力士
 生誕 明和4年(1767)1月、信州小県郡大石村(現長野県東部町大石)
・・・28歳以来、16年間2場所大関を張る。21年間34場所254勝10敗 引き分け・預かり・無勝負など、勝率96.2㌫。 
 最盛期の身長6尺5寸(1㍍97㌢)体重45貫(168.7㌔)
 妻おはん(八重)はここ臼井の旧浄行寺(現妙覚寺と合併)の檀家飯田家の甘酒茶屋「天狗」の看板娘であった。結婚後、2人の間に女児1人をもうけるが幼くして亡くす。
 引退後、妻の郷里ここ臼井で静かに過ごした。・・・

 街道に戻って、今度はけっこう急な坂を下り(先が見えないほど)、「国道296号線」に合流し、左折します。
 

来た道を振り返る。

       「臼井台」。

国道といってもそれほど交通量の多くない道を進みます。

途中には、「雷電夫人おはんの甘酒茶屋あと」説明板。

「臼井宿」となります。

道がT字路にぶつかる左角に「明治天皇臼井行在所」碑。

「臼井町の道路元標」。 
臼井町道路元標
 明治6年に新政府は諸街道の正確な延長を調査するため、道路里程調査を行なった。東京は日本橋、京都は三条橋をもって、国内諸街道元標とし、各府県へ里程を示す木標を立てるように命じた。
 やがて、大正11年には内務省令で、道路元標の設置場所、規格材料まで細かく規定し、各市町村の枢要な場所に元標が設置されるに至った。尚、この元標は道路新設のため、向かって右側約7㍍の地点より現在地に移設されたものである。

こちらの解説板は赤茶けて判読不能。

「中宿」付近を振り返る。

京成電鉄の踏切を越えます。

京成線に沿って進みます。


1880年代のようす。北側は広大な印旛沼の湿地帯。南の台地の縁を進む。


2010年代のようす。現在もほぼ旧道に重なる。○が道標の設置場所

竹林。街道沿いには竹藪がめだつ。

                      
コメント
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