おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成本線「佐倉」駅~「成田」駅。その7。(「佐倉街道(成田街道)」をゆく。第3日目。)

2019-04-22 20:20:28 | 佐倉街道
                                「国道51号線」脇を走るJR成田線。「成田エクスプレス」

交差点。旧道は右に向かう(「国道409号線」)。

                           


「並木坂上」交差点へ。

「成田市」マンホール。絵柄は、ウメ。

(14:57)再び「国道51号線」へ。そのまま横断して進みます。

                               

(15:01)右手に「和算家飯嶋武雄の墓」。

飯嶋武雄は安永三年(1774)に下総国金江津村(現・茨城県稲敷郡河内町)の出身で、通称武左右衛門、雅号を桃家といい、幼少の頃から神童と呼ばれ、十二歳の時既に算法(和算)の奥義を究めたといわれています。後に江戸で私塾を開設して算法を教授。その名声は広まりましたが、不幸にして失明し帰国しました。盲目となって後も近郷を巡回し口授により算法を教え、門下生は千余名に達したといいます。
 並木町の大坂家では、その昔寺子屋を開いており、師として飯嶋武雄を迎えたということで、その門弟である神山周助らが没後まもなく墓碑を建立したものです。

その向かい側が「なごみの米屋」。「一本松通り」との標識。
「なごみの米屋」
 成田表参道に総本店がある千葉県に根付いた和菓子屋。創業者は成田山新勝寺に縁の深い諸岡長蔵で、日本初の栗羊羹を作った方。羊羹とどら焼きが人気がその他にもさまざまな和菓子を販売。

(15:07)その「一本松跡」碑。

 かつて成田街道を往く旅人たちの憩いの場となっていた一本杉はすでに枯れ、今では石碑のみ残るだけですが、「一本松通り」として今も地元の住民に慕われています。

小松が植えられています。

JR成田線の踏切を越えます。

ここにも「一本松通」の標識。
                               この道がそのまま成田山の参道につながります。

(15:21)続いて京成本線を跨線橋で越えます。

 その橋詰めに「不動尊旧跡」。「論田・阿梨耶橋」という碑もあり。京成線の陸橋に付けられた名称。「ありや」と読む。

左手がJR線、右手が京成線。その間を進みます。

(15:33)JRと京成の「成田」駅前。今回はここまで。京成電車で戻ることにします。

            
            
            
1880年代のようす。「一本松通」。               2010年代のようす。中央がJR線、左から右が京成線。←が「一本松通」。
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