おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

五香。「子和清水」。小林一茶。東武線「六実」駅~JR「松戸」駅。その2。(「鮮魚街道」をゆく。第2日目)

2020-10-21 20:22:19 | 鮮魚街道

                       「さくら通り」。

六高台さくら通りの写真

 六高台のさくら通りは、道幅29メートルの広い道路の中央に緑地を設けた約1.1キロメートルの通りです。約200本のソメイヨシノが植えられ、毎年4月初旬の「六実桜まつり」では、さまざまなイベントが行われ大変賑わいます。

(この項「」HPより)

少し左にカーブし、再び直線道路に。

その先に長く伸びる緑地帯(多目的広場)。

先ほどの「さくら通り」もそうですが、住宅地にする際、計画的に作られた通りのようです。

       

                  

1970年代のようす。                2010年代のようす。

沿道には大きなおうちが目立ちます。

          

                

かつての(まだ現役の)農家のようですが。

松戸市のマンホール。絵柄は「矢切の渡し」。

「五香十字路」。新京成線「五香」駅にはすぐ。

新京成線を地下道でくぐります。その先を左折し、さらに右へ。

旧道らしき道の東側には商店街。

この地域は「五香」というよりも「常盤平」という言い方が馴染み深い。

                     2010年代のようす。↓が「鮮魚街道」。

                     1880年代のようす。畑ばかりで民家はなし。

地図では「鮮魚街道」には、「至 松戸」と記されている。この付近は、小高い丘陵地帯となっている。

右手に「松戸市立常盤平中学校」。

県道に出会うところに「子和清水」があります。

むかしこの近くに酒好きの老人が住んでいた。貧しい暮らしなのに外から帰るときには、酒に酔っている。
息子がいぶかって父のあとをつけてみるとこんこんと湧き出る泉を手で掬って、さもうまそうに「ああ、旨い酒だ」といって飲んでいた。

父の去ったあと子が飲んでみると、ただの清水であった。

この話を聞いた人々が「親は旨酒、子は清水」というようになった。

各地にある子和清水、古和清水などはこうした伝説によるものです

窪地をのぞき込むとブロンズ像などが。

そこで、回り込んで、降りてみます。

金ケ作(現松戸市常盤平)にある湧水池で子和清水伝説の地とされ、現在は周辺開発により枯れてしまいましたが、松戸市により「子和清水1号緑地」の一部として井戸水を汲み上げて保全されている、とのことです(循環式)。

 

緑地の中央に」が。


                    子和清水像」。

さらに奥には「一茶句碑」。

            母馬が番して呑(ま)す清水かな

 『八番日記』 文政二年(1819)小林一茶 57歳の作。なかなか味のある句です。

このブログでも行く先々で出会った一茶の句碑、句を載せています。

雀の子そこのけそこのけ御馬が通る《江東区大島》

 陽炎や道灌どのの物見塚《日暮里》

 

昼顔やざぶざぶ汐に馴れてさく《富津岬》
大汐や昼顔砂にしがみつき《同》

艸花やいふもかたるも秋の風《房総往還》
蕣(あさがお)の花もきのふのきのふ哉《同》

藤棚や うしろ明りの 草の花《木更津》

やせ蛙まけるな一茶是にあり《日光街道》
蝉なくや六月村の炎天寺《同》

時鳥 吾が身ばかりに 降る雨か《日光例幣使街道》

有明や 浅間の霧が 膳をはふ《中山道》

坂本や 袂の下は 夕ひばり《同、以下も同じ》

手枕や 小言いうても 来る蛍
とぶ蛍 うはの空呼 したりけり
山伏が 気に喰ぬやら 行蛍

はつ雪や ちりふの市の銭叺(ぜにかます)《東海道》

一茶は生涯で21,200句ほど詠んだそうですから(芭蕉:約1000句、蕪村:約3000句。その分、「玉石混淆」は否めない)、芭蕉の句碑と同様、各所に句碑があります。

コメント
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