おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR外房線「茂原」~「上総一ノ宮」。その7。農免道路。平沼騏一郎別荘跡。釣り人。ペリカン。「一宮庵」。「一宮館」。九十九里浜・一宮海岸。サーファー。(「房総東往還」を歩く。第4日+α。)

2023-12-02 18:30:43 | 房総東往還

「農免道路」という標識が。

農免農道というのは、その農道を作った事業名に由来し、その事業名とは、「農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業」と呼ばれている公共事業で農林水産省の補助事業です。

どこにも“免”の字はありません、それは、S28年に制定された「道路整備費の財源に関する臨時措置法」で揮発油税の収入は、国道や県道の道路の整備に使うことが決められたのですが。

「農林漁業用に使用されるガソリンは、仕事上の必要経費として税金を“免除”してほしい」との声が強くなり、その声に答えるように発足したのがこの事業です。

個人を特定して税金の免除は、できないから、その替わりに農道の整備を行うと言う主旨で発足した事業です。

そこで,免税の“免”の字をとって略称で「農免農道」と呼ばれています。
「農林漁業用揮発油税財源身替農道」は名称があまりに長いこともあって農免農道と呼んでいます。

(この項、「教えて! Goo」HPより)

※国会で議論になっている「トリガー条項」にもつながる?

周囲に田畑が広がる。

       

「一宮川」近くに、大きなお屋敷。

「平沼騏一郎元総理大臣別荘跡」碑。

慶応3年~昭和27年(1867~1952)・・・大正8年頃、一宮川沿いに別荘を建設しました。・・・一宮町は、明治末期から昭和初期にかけて財界人や軍人など、名士の別荘が数多く建設され、房総半島有数の観光地として賑わいました。

「一宮川」。上流方向。

下流(海)方向。

ひと群れの水鳥。

                      釣り人の姿も。

川沿いの家並み(一宮町)。

対岸(長生村)。

大きなペリカンが門柱の上に。

         

  右手に、

「一宮庵」。

         1棟貸切大型ゲストハウス

《クチコミ》カラオケ・室内BBQ・足湯・サウナなど楽しめる設備が十分すぎるほど揃っており非常におすすめな場所です!室内も広く大人数での宴会やサークルなどで利用するのがいいかと思います!今後も利用したいと思える施設です。(「Goole」より)

芥川龍之介ゆかりの「一宮館」。

九十九里浜の南端に位置し、かつて「東の大磯」とも呼ばれた一宮。別荘や旅館が立ち並び、白砂青松の海岸に誘われ多くの著名人が訪れた。一宮川の河口付近で1897(明治30)年に創業した一宮館は、当地での旅館開業の先駆け的な存在と言われる。文豪・芥川龍之介(1892~1927年)が滞在した離れが今も残り、芥川ゆかりの宿として親しまれている。

 明治30年は両国-一宮間に鉄道が開通した年で、一宮が避暑地として栄えるきっかけになった。同館はこれを見越して創業したとみられ、近年、地元の名士に宛てた「開業通知」の文書が見つかった。

 所蔵する一宮町教委によると、同館は開業記念の式典のようなものを催したらしく、船でこの名士を迎えに上がると記されていた。昔の一宮川は、上総一ノ宮駅近くの船着き場から同館がある海岸付近まで船が往来し、客を運ぶ情緒ある光景が広がっていた。・・・

(この項、「千葉日報」より)

敷地内にある「芥川荘」には帰途に寄ります。

「新一宮橋」。

釣り人も両岸に。

        大きなハゼなどが釣れるようです。

川沿いの遊歩道から回り込むと、前方に、海(太平洋)が見えてきます。

陸地側。

駐車場に車がたくさん。海には大勢のサーファー。

           

「房総往還」(内房歩き)では、対岸に三浦半島が見えていましたが、ここでは、はるかに海が広がるのみ。

          

                     九十九里浜。

一宮海岸の今昔。

                             (現在)

        東西に伸びる、黄色い直線路が風船爆弾基地への引込線跡。

                             (1880年代)

       砂地と水田・畑が広がる。家屋はない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする