引越しの多い生活を送っていると、知らない土地を旅をしたときでも「デジャヴュ」(既視感)を覚えることがままある。台湾の基隆(キーロン)でレガッタを見たときには、バーディーの生まれたある港町の夏の行事「競り船」(せりふね)の記憶がまざまざと蘇ったものである。
だが、実際にむかし住んでいた土地に来たときには、デジャヴュにとどまらず体中がある種の安心感に包まれるのを感じる。
たとえば、福岡に着いた瞬間、東京とはまったく違う適度の人口密度や、荒々しいのか優しいのかよく分からない博多弁の響きに触れてなぜかほっとする。福岡は世界でも暮らしやすい都市の上位にランクインされているらしい。ただ、治安がよくないのが玉に瑕である。
時々思うのは、暮らしやすい土地に、優しい心根の人たちが住んでいたら、理想の都市が出来上がるということである。人情という点についてみれば、北海道か沖縄の人たちが一番だと思う。何よりも気が優しい。
だから、たとえば、西宮に北海道出身の人たちが集団で住んでいたら、理想の「住みやすい都市」ができるのではないか、などと想像してみたりするのである。
だが、実際にむかし住んでいた土地に来たときには、デジャヴュにとどまらず体中がある種の安心感に包まれるのを感じる。
たとえば、福岡に着いた瞬間、東京とはまったく違う適度の人口密度や、荒々しいのか優しいのかよく分からない博多弁の響きに触れてなぜかほっとする。福岡は世界でも暮らしやすい都市の上位にランクインされているらしい。ただ、治安がよくないのが玉に瑕である。
時々思うのは、暮らしやすい土地に、優しい心根の人たちが住んでいたら、理想の都市が出来上がるということである。人情という点についてみれば、北海道か沖縄の人たちが一番だと思う。何よりも気が優しい。
だから、たとえば、西宮に北海道出身の人たちが集団で住んでいたら、理想の「住みやすい都市」ができるのではないか、などと想像してみたりするのである。