The Greeks ギリシャ人 (H.D.F.キトー)
「理性に当たるギリシャ語は、ここの意味では「ロゴス」である。・・・(中略)・・・「ロゴス」は普通「言葉」と誤訳されている。それはむしろ「話」であるか、あるいは「話」によって伝達される観念である。」(p243)
こういうくだりを読むと、言葉の怖さを痛感する。
「ロゴス」を「言葉」と訳するのは誤りだというのである。
これに対し、「難解な本を読む技術」高田明典)には、ラカンの「エクリⅠ」冒頭の解説として、以下のような記述がある。
「自我とは、「ロゴス」であり「記号」であり「言葉」である。」(p225)
この肝心のところで、「ロゴス」が誤用されているかもしれないということなのだ。
念のため言っておくと、高田先生のこの本は非常に良い本で、再読三読に値すると思うが、それだけに、こうしたところが気になるのである。
「理性に当たるギリシャ語は、ここの意味では「ロゴス」である。・・・(中略)・・・「ロゴス」は普通「言葉」と誤訳されている。それはむしろ「話」であるか、あるいは「話」によって伝達される観念である。」(p243)
こういうくだりを読むと、言葉の怖さを痛感する。
「ロゴス」を「言葉」と訳するのは誤りだというのである。
これに対し、「難解な本を読む技術」高田明典)には、ラカンの「エクリⅠ」冒頭の解説として、以下のような記述がある。
「自我とは、「ロゴス」であり「記号」であり「言葉」である。」(p225)
この肝心のところで、「ロゴス」が誤用されているかもしれないということなのだ。
念のため言っておくと、高田先生のこの本は非常に良い本で、再読三読に値すると思うが、それだけに、こうしたところが気になるのである。