「天皇の怒りの震源は那辺にあったのか。それはむろん推測する以外にない。一閣僚に対する怒りが、最高位の軍人をも上回るということからすると、そのことへの推測はいくつかに限られてくる。
1 統治権の総覧者である天皇への著しい権限侵犯。
2 統治権の総覧者である天皇の権威への畏敬が足りない。
3 軍事に拮抗する政治の側の主体性の欠如。
(中略)
もっとも重要なのは2ではないか。政治に関わる官僚出身者が天皇にさしたる畏敬の念を持っていないこと、これである。
岸に限らず官僚は天皇の統治権を代行することになるのだが、総じて軍人とは比べものにならないほど尊皇精神が希薄である。つまり天皇機関説に徹し切っている。徹し切っていながら、国民には天皇神権説を鼓吹する。その二枚舌を見抜いて、天皇は岸に批判を持っていたと思える。」
おそらく憲法史を知らない人が書いたと思われる、おかしな記事である。
「総覧者」(正しくは「総攬者」。vereinigen(独)『ひとつにまとめる』)という誤字の点もさることながら、「天皇機関説」は「尊王精神が希薄」であるというのは、天皇機関説のロジックをよく理解していないものと思われる。
さらに、岸信介氏が「天皇機関説に徹しきっている」という主張に至っては、明白な誤りだろう。
「安倍の祖父・岸信介は東京帝大法学部の銀時計組で、恩師の上杉慎吉教授から、大学に残り、上杉憲法学の後継者となるように懇願された秀才だった。上杉の論敵が、東大憲法学の主流派を形成する美濃部達吉であった。「天皇親政説」の上杉は「天皇機関説」の美濃部によって少数派に転落させられた。美濃部の後継者である宮沢俊義は岸信介の同世代である。宮沢は「八月革命説」によって、新憲法の正統性を権威づけ、芦部信喜をはじめとする後継者を育てた。美濃部―宮沢―芦部という東大憲法学の系譜は、安保法制論議以来、テレビで顔と名前がお馴染みになった長谷部恭男と木村草太へと続くことになる。」
岸氏は、上杉慎吉の愛弟子であり、「天皇機関説」=「立憲学派」と対立するいわゆる「神権学派」に属していたというのが大方の見解である。
なので、彼が「天皇機関説に徹していた」などという話はちょっと考えられないのである。