"Face à Polyphème, il est l'homme de la technè, et lorsqu'il crevé I'œil du Cyclope avec un pieu qu'il a taillé lui-même, son action est, métaphoriquement, celle d'un carpentier et d'un bronzier. "(p310)
(拙訳:ポリュペーモス(彼もテクネ(技術)の男である)に対面し、彼(オデュッセウス)はキュクロープスの眼を彼自身が削って作った杭で破裂させたのだから、彼の行為は、比喩的に言えば、大工と鋳造師の行為なのである。)
オデュッセウスもキュクロープスも、実は”職人”(artisan, Meister)だったという指摘である。
”職人”と言えば、80年代以降、西欧と北米では、心ある人々は、専門職層(つまり”職人”)を育成するための高等教育に力を注いできている。
そして、アジアの一部の国・地域でも、この流れに乗ろうとする動きが続いてきた。
ところが、非常に残念なことに、わが国は、この動きに完全に"乗り遅れ”、相対的に若い世代がまるごと取り残されてしまった(最後の棒倒し(10))。
このままでは、わが国に(層をなすほどの数の)オデュッセウスたちが誕生するのは難しい。
それでは、キュクロープスはどうだろうか?
「一つ目の巨人」は、歴史的には、製鉄・鍛造・鋳造などの鉄器製造に関する神として位置づけられてきた。
これについては複数の解釈が可能だろうが、「武器」製造の”職人”を象徴していると見るのが素直だろう。
現代で言えば、「軍産複合体」あたりだろうか?
そうなると、現在進行中の政治的な動き、例えばトマホーク(もともとネイティヴ・アメリカンの斧)が大好きなところからすると、わが国にも今後「小さな巨人」くらいの”職人”たちが生まれる可能性はありそうだ。
だが、巨人の好物は人間なので、多くの人が犠牲になるかもしれない。