何かよっぽどの用事がないと行かない、都会。
近いんだけどなあ。
知り合いの写真展があるので梅田に行った。
行くとなればあちこちと行きたかった所を訪ねる。
大きなアウトドアショップなど。
写真展はその人が縁で行くようになったのだけれど
いつみても心動かされる。
日本や世界の美しい物が四角く切り取られてそこにある。
そこでは写真とは記録ではなくて芸術だ。
どの線もどの物も多すぎず少なすぎず。
絵を見るときもだけど、私は気に入った物があればずっとそれを見る。
今回は1人の職人のモノクロ写真。
金襴の織り地になにやら刃物を打ちつけようとしている所。
初め見たとき、それが刃物だってなかなか認められなかった。
それくらいその布地が美しかったから。
想像しただけでもこの作業って緊張する。
ちょっと間違ったらそれまでの織りの職人さんの苦労が水の泡。
そこに思い切った一打。年齢を重ねた彼はその作業を何百回も何千回もやってきたのだろう、あせりや心配は見られない。ただまっすぐに槌を降ろそうとしている。
静かな老人の写っているモノクロの写真。その迫力に圧倒された。
たくさんある風景写真の中で私が心動かされものに共通する物があった。
FoggyでShinyなもの(霧と光)
山間の集落に立ち込める霧。
森の中の池に咲く菖蒲の群落、そこにうっすらとかかった霧が木々の上から斜めに差し込む光に紗のように輝く。
たぶん私が反応しているのは物ではなくて、空気や光だ。そう気付いた。
そんなものまで写せるのだな、表現できるのだな、写真。
そう思ったら、たとえ物が写っていてもそれはお日様の光が物に当たって反射してきたものなんだから、それも光だ。
そう思うと写真って光で出来ているんだと思う。物だけど光で出来ている。
光の記録としての芸術。面白い。
並べられた写真群を見ていると「この世はなんて美しい」と思う。
私もちょっと写真をそんな風に撮ってみたくなったな。
近いんだけどなあ。
知り合いの写真展があるので梅田に行った。
行くとなればあちこちと行きたかった所を訪ねる。
大きなアウトドアショップなど。
写真展はその人が縁で行くようになったのだけれど
いつみても心動かされる。
日本や世界の美しい物が四角く切り取られてそこにある。
そこでは写真とは記録ではなくて芸術だ。
どの線もどの物も多すぎず少なすぎず。
絵を見るときもだけど、私は気に入った物があればずっとそれを見る。
今回は1人の職人のモノクロ写真。
金襴の織り地になにやら刃物を打ちつけようとしている所。
初め見たとき、それが刃物だってなかなか認められなかった。
それくらいその布地が美しかったから。
想像しただけでもこの作業って緊張する。
ちょっと間違ったらそれまでの織りの職人さんの苦労が水の泡。
そこに思い切った一打。年齢を重ねた彼はその作業を何百回も何千回もやってきたのだろう、あせりや心配は見られない。ただまっすぐに槌を降ろそうとしている。
静かな老人の写っているモノクロの写真。その迫力に圧倒された。
たくさんある風景写真の中で私が心動かされものに共通する物があった。
FoggyでShinyなもの(霧と光)
山間の集落に立ち込める霧。
森の中の池に咲く菖蒲の群落、そこにうっすらとかかった霧が木々の上から斜めに差し込む光に紗のように輝く。
たぶん私が反応しているのは物ではなくて、空気や光だ。そう気付いた。
そんなものまで写せるのだな、表現できるのだな、写真。
そう思ったら、たとえ物が写っていてもそれはお日様の光が物に当たって反射してきたものなんだから、それも光だ。
そう思うと写真って光で出来ているんだと思う。物だけど光で出来ている。
光の記録としての芸術。面白い。
並べられた写真群を見ていると「この世はなんて美しい」と思う。
私もちょっと写真をそんな風に撮ってみたくなったな。