季節の中で 暮らしの中で -Through the seasons and daily life-

現代の都会でプチ昔&田舎暮らし
-old & country style in modern urban life

永遠の仔

2019-08-24 18:29:06 | Weblog
ずっと前から気になっていたんだけど、怖くて読めなかった本。
でも長年精神科のクリニックで働くうちにいろんな疑問や考えが出来てきて、そのためにも参考になるかなと。思い切って読んでみようと思ったら、本がない。
図書館にも本屋にも。
それで古本で取り寄せて読みました。
 読み始めてわかった。思うより怖いと言う事はなかった、むしろ聴き馴染みのある、見覚えのある話と様子。
1巻で主人公たちの様子や親たちの様子が淡々と描写される。日常のように当たり前のように書かれているそれが、私が観たら生き方にわだかまりのある人の考え方や生き方や動作だとわかる。
妙に緊張した癖があったり、客観的に聞いたらおかしいのに妙に自分を正当化していたり。生きづらさを隠すためにそんな事になっている事に自分も気付いていない様子。
その健康な生き方や考え方とのずれがそのうちにきしみ始めて、ある時にがくっと通常の範囲を超えてしまう様子。
その後の暗黒な世界。
すごくわかりやすいなあと思った。
私がひかれたのがそのタイトル。
ずっと考えていた事がその中に集約されていると思ったから。
永遠の仔。
私が仕事で接している人たちは、子どもの頃に考えられないくらいのひどい事を親にされている人たちが結構います。
その親から離れてもう何十年も経ってる。もうその親が居なかったりする。
それでも子どもの頃に受けたダメージが相変わらずにその人を傷つけたり動けなくしたり、何かを行う時の障害になったりしているんです。
それが本当に不思議だし勿体ないとずっと思ってて、傷つけられた子どもが自分の中に永遠に居続けると言う事がなんとかならないかなって思ってて。
ある患者さんから聞いた「歯車のかけ違いでどんどん狂ってしまうって言うのがぴったり」と言う感覚や、「自分の生きている世界は健康な人のそれとは決して交わることがない」と言う感覚がこの本を読んでいると良くわかる。
当たり前に息を吸って吐いて、ご飯を食べて、夜寝て朝起きる。学校や仕事に行くと言うようなシンプルな行為そのものにもかなりの困難が生じるほどの傷を周りの大人は子どもに付けることが出来るその残酷さ。
3人の主人公たちは虐待の典型だと思う。体罰と放任と性的虐待。
これだけに集約されるわけではないけれど、子どもの頃から大人までの様子がとてもわかりやすい。
大人が自分のために子どもを犠牲にする。しかも良かれと思っていさえする、または面白くてやっていさえするその行為の影響の深刻さ。
新聞やニュースでは事件になった時のその点でしか捉えられない事象が長いスパンの線で認識できるのがすごいと思う。
読んで良かった。大事なことがたくさん書いてありました。
私は何も特別な事は出来ないし、彼らを治すことも出来ないけれど、その人たちと一緒に居る事だけは出来るので、そうやってこれからも寄り添いたいと思う。人としてその人たちの存在そのものを認めると言うこと、それだけは私にも出来る。
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