明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


最近雑記も間が空き気味だが、できれば作品制作にかかわることを書くべきだと思うこともあり、アダージョの入稿も済ませ、ちょっとだらけて休憩中である。もともとワザワザ書くようなことも起きない私の日常だが、忙しいと、そこから逃げ出したくなり、こんな馬鹿々しいこと書いてる場合じゃないだろう、と思えば思うほど、書いてしまうようである。ネットでお笑いライブや、市川雷蔵主演の『破戒』1962’(大映)なんぞを眺め、だらだら過ごしていると、すぐにK本の営業時間になってしまう。覗いてみると、最近越してきた、やたら馴れ々しく、煩わしい男が来ていなかった。東京の下町など狭い地域では、人との距離感覚のセンサーの性能の悪い人間は困りものである。 ジャングルに住む原住民などは、部族に人の気持ちを察しない人間が混ざっていると、時に生死の危険にさらされることにもなる。西丸震哉がジャングルで調査中に、原住民が後ろから覗き込むので煩わしい、とちょっと思っただけでさっといなくなった、というようなことを書いていたが、そこまででないにしても、空気や人の顔色くらい察知できないと、狭くて人間同士の距離が近いとやっかいである。特に私のように、子供の頃から“逃げ足”に自信がなければ、なおさらである。件の男はこれがまったくツラの皮が厚く、遠慮というものがない。ずうずうしく人の話に割り込んでくるし、聞いてもいないのに自分の話ばかりしている。K本の女将さんは、そういうことにはうるさく、気が付けば静かに飲みたい人もいるんだよ、と怒るのだが、K本で飲んでいる間はまだしも、常連にくっついてT屋にも顔を出すようになり、だれかれとなく話しかけ自分の話ばかりしているので、主人のHさんもキレ気味だという話は聞いていた。先日は運悪く私は隣りあわせになり、私がそっぽを向いているのに一人で自分の話をしている。Hさん私の飲み方に「今日はハイペースだね」というので「この状況みろよ」というとカウンターの中で腹を抱えて笑うのである。私は酔っ払いには寛容であるし、相槌を打つのが上手過ぎるという欠点もあるが、さすがにテメエのことなんか興味ないし、知りたくもない、とイライラしてきた頃、主人のHさんついにマジ顔になり、「あんた家でもそうやって喋り続けてんの?」酔っ払いに説教するHさんは、自分のことを棚に上げてる分、堂々としている。この調子だと、出入り禁止も間近であろう。K本にしてもT屋にしても、一度出入り禁止になると、許されることはまずない。

01/07~06/10の雑記
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