明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一昨日飲酒の果てにPCを起動したまま寝てしまったが、目が覚めたらカーソルがピクリとも動かなくなっていた。詳しい友人に相談しているが、今のところ解決策が見当たらない。しかたがないので、以前使っていたパソコンでメールなどしている。このPCは性能に不足はなかったが、CDのトレイは開かないし、USBもだめになり、モニターの色もおかしく、3色の中の1色足りないような色をしている。膝でコードを引っ張ると、その間、正常に戻っていたが、その手も使えなくなり、突然終了するようにもなっていた。  久しぶりに起動してみると、ちょうど、昔使っていた机の引き出しを開けるような感じである。マメにデータを移動したわけではないので、たとえばIEのお気に入りなど見ると、このころはよく見ていたが、最近はすっかり忘れていたHPなどあり、アクセスしてみると、すでに閉じられていたり、デザインが変わっていたりしていた。  拙著『乱歩 夜の夢こそまこと』もこのPCで作ったが、結局完成させずに終わった『青銅の魔人』や『パノラマ島奇談』の作りかけの残骸やアイディアなどの書き散らしが残っていた。『白昼夢』では、切断された首を乱歩が覗いているシーンは、首は当初作るつもりだったのが、実物の人間の首を、人形の乱歩が覗いている方が面白いと、変更したことなど、いちいち書いている。『白昼夢』は男が嫉妬の挙句に女房を殺し、バラバラにして流水に漬け、死蝋化して自分が経営するドラッグストアの店先に飾っている。という短編だが、完成した後に、実は手脚は切断したが、首は切断していないことに気が付き、あわてた様子も残っていた。この部分は大半の人が勘違いをしており、私が始めて読んだ講談社版の横尾忠則の挿絵も切断された首であった。恐怖やグロテスクを描こうとすれば、おそらくシャレにならないところまで行ってしまうであろう私だが、乱歩本人の性質を考慮し、抑えた表現で、むしろ切断死体にもユーモアを加味したいと当初から考えていたようである。よって死体の切断面はリアルにはせず“切断面は綺麗に”などと書かれていて笑った。店先のトルソは非常に力を入れたシーンであったが、初めから胴体から首が切り離されていないと気付いていれば、グロテスクゆえに手がけなかったことであろう。  こうしているうちに、起動したらカーソルが動くようになっていた、ということを期待しているのだが。

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