明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



材料を買いに御茶ノ水に行く。 知人から、ギターは誰かターゲットを絞って練習した方がいい、と聞いたのを思い出し、昔から好きなブルース・ミュージシャンのCDを買う。映像で観る限りそのミュージシャンは、一定のポジションから指がギターの指板上を、あまり移動しないので、比較的楽そうだと思ったのだが、よく考えてみたら、狭い音域にかかわらず、聴いていて飽きないのは、その分、そのポジションの範囲で色々やっているわけで、簡単なことなど一つもないのであった。誰のCDを買ったかは書かないでおく。 中学生に混じって教則DVDを物色する。私が彼等の頃には勿論ビデオはなかったし、TAB譜もなかった。懇切丁寧に解説する雑誌などもないので、キース・リチャーズのチューニングも知らなかったし、レゲエはレガエだった。 帰宅してさっそくDVDを観る。今回は入門用と表示されている物を購入したが、結局、そこそこ弾ける人が、そのジャンルを入門するならば、というものであった。またやってしまったようである。  一生の間にできること、身に着けられる能力、それにより味わえる快楽には限りがあると私は考えている。作品制作に集中している時、楽しいことをあえて避けるのも、創作による快楽が減るような気がするからである。世の中には、やれば楽しいことはいくらでもあるだろうが、いちいち飛びついて、限られた能力を消費するわけにはいかないのである。人は欲張って、あれもこれもと欲しがり、手に入らず不満を持つものだが、そう都合よくはいかない。凸っぱった分、凹まなければならないし、凹んだ分は、凸っぱれもしよう。つまりギターなど上手くなったら、その分、私の作品制作に差しさわりがでてくるのである。 とでも思わないと、一向に上達しないギターの腕前に納得がいかない。

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