明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



動かなかったカーソル、なんのことはない、マウスを換えてみたら何事もないように動き出した。某文学館に画像データを送ってから、錦糸町のヨドバシカメラで母と待ち合わせ、実家用の掃除機、布団乾燥機を買い、夕食を一緒に食べる。実家によると、隣のJR職員家族用アパートが閉鎖され塀に囲まれていた。実家と塀を境にしたアパートの裏庭は、すでに雑草に覆われている。このアパートは、小学時代から中学卒業まで、何人もの同級生の家族がいれ代わりたち代りしたものである。中1か中2の頃、小学校からの友人と、私の部屋から庭をはさんだ友人の部屋まで、電池式の有線の通話機のコードを渡し、夜中に話しこんだのを思い出した。スイッチを押すと、相手側にちゃちなベルが鳴るようになっていて、ほとんど玩具に近く、不鮮明な音声ではあったが、試験勉強のフリをしてよく話した。携帯電話の現在を思うと隔世の感があるが、そうまでして話したことが、ほとんど熱帯魚、自転車、ギターの話であった。機械は進歩して、話す内容は相変わらずなのだから我ながら呆れる。  この裏庭には、夜中に自転車に乗った高校生がたむろし、タバコを吸ったりしていたが、中学生の私は、発射音を消すため布団でくるんだBB銃で、キャプテン・アメリカことピーター・フォンダを撃ち殺した村人の如く狙撃したものである。銃口に手のひらを当てて撃っても、たいして痛くなかったから届かなかったかもしれない。この庭にはマンホールがあったが、何しろ0メートル地帯である。地盤沈下のおかげで地面から20センチ以上も浮き上がっていて、自転車に乗っていてサンダルから出ている足の指をぶつけて爪をはがした。 この庭に小学校の時埋めた物で、未だ覚えている物が2つある。ひとつは鍵っ子だった私が母と電話で喧嘩し、腹立ち紛れに自宅の鍵を埋めてしまい、付けたつもりの目印が判らなくなって探し出せずに酷く怒られた鍵。もうひとつ埋めた物も覚えているが、いくら小学時代の話といえ、あまりに阿呆で書く気になれない。だいたい本日の雑記も、私はなんで、こんなアパートの裏庭の話なんて書いているんだろうと、途中から思いはじめていたのである。

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