明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



拙著2冊でお世話になったデザイナーの北村武士さんと久しぶりに会い、神楽坂で飲み、その後T屋にお連れした。しかし結局、常連の波に飲み込まれ、四の字固めは本当に痛い、とかブレイン・バスターは、キラー・カール・コックスだとか、あれは投げられる吉村道明が上手い、あの試合はガチだった、お前は解ってない、石松の幻の右は、チャチャイ・チオノイは、などと今どきにはあるまじき盛り上がり方に、北村さんを呆れさせる結果になってしまった。神楽坂の気取った店と違った雰囲気を味わってもらおうという私の意図を超え、ブレイン・バスターの落差となってしまった。  帰宅すると、アダージョのライター藤野さんから、8月号の人物用にと、デスマスクの画像が3カット送られてきた。これは有り難い。肉付きは落ちているので参考にはならないが、骨格はむしろあらわである。当時くり返し書いたことだが、夏目漱石を作った時に、漱石の写真の鼻筋に修正の跡を感じ、危険を回避するためアダージョの表紙では正面を向かせたが、江戸東京博物館で直後に催された漱石展に出品されたデスマスクは、はたして、大変なカギ鼻であった。当時の写真館の写真師は、鉛筆一本でガラス製のネガを修正し、痘痕を消したり肌に艶を与え目を見開いたり、写真の技術というより修正の技術により、繁盛するかが決まったという。漱石の写真はフィギュアの原型師がパテで盛ったくらいの修正である。本人の許可なく修正を加えたとは思えない。私は漱石本人による指示だろうと考えている。これはあくまで私の想像の域を出てはいないが、少なくとも私の中で夏目漱石は、“写真館で鼻筋の修正を依頼するような男”というレッテルを貼られてしまっている。もっとも、それをコソッと依頼している文豪のイメージは決して悪くはない。それとも案外、明治時代は堂々と、男がそんなことを依頼するような風潮でもあったのであろうか。

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