明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



植村直己は板橋に15年ほど住んだそうである。 この場所にはその昔、板橋の名の元になった太鼓橋があったという。旧中山道は石神井川にかかる橋である。現在はコンクリート製に代わっているが、私がこの場所を選んだ理由は橋よりも、かたわらに立つ道標の柱である。様々な場所にたどり着いた植村の、“地点”のイメージを象徴できれば、と考えたのである。書かれた距離が物足りないのはしかたがない。 世界のウエムラは極地に立ってこその人である。街中に立たせても画にならないし、本人も居心地が悪いだろう。ここに笑顔で立ってもらうにはどうすれば良いか考え、エスキモー犬を登場させることにした。犬はアラスカンマラミュートといって、エスキモー犬の中で最も大型の犬らしい。埼玉県の専門犬舎に御協力いただいた。季節として、毛のボリュームが今ひとつの時期らしいが、実物を見ると、実に迫力があり、今まで見た、すべての犬が霞んでしまう様子の良さであった。 当初、植村には、極地仕様の格好で立ってもらおうと思ったが、背景の樹々があまりに青々としており、さすがに暑苦しい。かといって、普通のアウトドアウェアでは物足りない。そこで白熊のズボンを穿いてもらった。 11号『太宰治と歩く』では、すぐ横に実物の女性の髪があり、一方の太宰の髪があまりに粘土なので自分の髪を撮影して合成したが、今号も周りが純毛だらけなので、同じことをしてみた。植村の独特の髪型は、少しでも寒さに耐えるようにという配慮なのか、どうでも良いかのどちらかであろう。 今号は犬が準主役として華を添えてくれた。私がアダージョの表紙制作を通じて編み出した、“違和感をもって違和感を制す”の典型的な例となろう。

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