未だに頭の中は熱を持ち静まっていないようである。実際制作した作品と、イメージしただけの作品が夢の中では区別がなく、同じように存在していて、目が覚めてくると、徐々に、これはどうも考えただけで作っていないぞ、となってくる。3、40秒は懸命にどっちだったか考えているようだ。多少風邪ひきの熱のせいもあるだろう。 『男の死』では三島に、本人のキャラクターとは正反対で、三島が愛した“理智に犯されぬ肉の所有者”になってもらうことが眼目であった。そういう意味では三島のイメージに度々登場するサーカスの芸人、特に綱渡りになって落下死してもらいたかったし、あれだけ海に行きながら真っ先に考えていた漁師の死が実現していない。これは現在ではFRP製の漁船ばかりで興がそがれたことにもよる。 そして今回一番“取り逃がした”感があるのが、ついに、という感じで新潮社の全集に入った『愛の処刑』であろう。私はゲイ雑誌に掲載されすでに読んでいたが、これは『憂国』の下書き、といってしまいたい作品である。この大ネタは大きいだけに、どんどん後半に持ち越され、『憂國』とタイトルを付けた作品も、これだけでは、まったく部分でしかない。最終的に『憂國あるいは愛の処刑』としたい。 陶芸をやっていたとき、しばしば経験したことだが、一度窯の温度を下げると、元に戻すのに骨が折れた。このまま作ってしまうべきなのか?
三島ページに黒蜥蜴を追加。