力道山の作った日本プロレス出身のレスラーには山本小鉄、星野勘太郎、松岡巌鉄などと、時代がかったリングネームが多いが、すべて剣豪小説好きな“怪力”豊登が名づけ親である。上田の自伝によると、リングネームを付けてくれるというのでみんなで期待していると、猪木は死神酋長アントニオ猪木と付けられそうになり、死神酋長は勘弁してください、と泣き出した、とある。死神酋長というのは少年レスラーが主役の『チャンピオン太』出演時の役名である。http://www.dailymotion.com/video/xik9as_yyyyyyy_people
昔、上田は身体は大きいが暗い表情でリングサイドにいたのを覚えているが、私の所有する自伝には根性と直筆のサインがあり、生真面目さが伺われる。しかし実力はあるが、無表情でファイトスタイルが地味で、海外ではプロモーターからアピール不足を指摘される。そこで自分をピンで刺して、痛がる顔を鏡で見て表情を研究したというから不器用にも程がある。 日本のマット界は外人レスラーのギャラが高すぎるといっていたし、飛んだり跳ねたりのレスリングを批判していた。 いよいよ力道山の弟子も残り少なくなってきたが、中でも最後まで“力道山先生”を貫いた男としては、“原爆頭突き”の大木金太郎と双璧だったろう。不器用な、というと私には高倉健よりまず上田馬之助のイメージである。