明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



柱時計に入った夢野久作。置きっ放しで稼動試験もしないままギャラリーに渡してしまった。時打ちは『ドグラマグラ』調にゆっくり鳴って欲しい。柱時計のネジは極たまに逆のこともあるらしいが、普通は二つあるうちの左が時打ち用、右が稼動用である。もちろん同時に一杯に巻くものである。コチコチいう作動音は振り子の長さによる。当然長い方が速度は遅い。そこで自宅にかかっている柱時計で実験してみている。時打ちがせわしないとイメージに合わない。一杯に巻いてしまって後悔したことは先日書いた。 右を一杯に巻き、左を軽く巻いて試しているが、時打ちの打ち方が緩いような気がする。となれば、時刻は大よそ正確に、時打ちの音だけが今にも止まりそうな速度で打ってくれれば最適である。自宅用もしばらく動かしていなかった。これは二本の棒を打つようになっていて、音がブレンドされ、とても良い音がする。ただ現在の密閉性の高い部屋では、少々音が大きいのでテープを巻いて抑えてある。モニターを眺めていて時を打つと、つい時刻を確認してしまうが、正確なことにあらためて感心している。 子供の頃、ずっと鍵っ子であった私は(現在鍵っ子という言葉は通じるのであろうか)よく畳に寝ころがって一人本を読んでいた。静かな部屋で時計を見上げる。宿題もしないで本を読んでいるので親の帰宅時間が気になる。幸い今日は読書であってテレビは観ていないから、帰宅早々母がテレビの背後を手でチェックしても真空管は冷えており、叱られる心配はない。 時計はコチコチと時を刻んでいるはずであるが、ずっと聞いているせいで鳴っているのかいないのか判らなくなり、不思議になり、時計を見上げて耳を澄ませたものである。

去の雑記
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