本日、漁師二人の撮影予定であったが、一人が風邪気味ということで延期。何しろ屋外で上半身裸になってもらわないとならない。 先日人形撮影時に予期できない要素を画面に入れる話を書いたが、今回人形と人物の撮影をしてみて、何が面白いといって、人間が、私の想定外のことをした時に限って面白い。これは乱歩作品のビジュアル化をしていた時には考えたこともなかった。 長い間制作してきた。近頃は頭の中でイメージさえすれば、いずれはおおよそ思った通りの物が目の前に出来上がる。そこに思った通りではない要素をプラスするのが、私にとっての写真の役割といえるであろう。特に人間との共演は、私が造形したわけでない、生身の人間を加えることにより、刺 激や動きをもたらしてくれる。飲み仲間や近所の、いわば素人中の素人を使い、なおかつ、たいしたアドバイスもせず自主性に任せてしまう理由はそこにある。というのは後で考えたことである。 正直いうと自分の作品、さらに出版を前提にしている作品に、ここまで放ったらかしにしていいのか 、という気持ちがないわけではなかった。しかし私の口から出るのは、「それで良いです」「かまいません」「それでいきましょう」。ばかりでただ笑っていた。 常日頃思っていることだが、表層の脳はたいしたことがないが、頭以外に、もう少し性能の良い物がどこかに備わっていて、そうせずにいられ ない場合は、そちらに任せたほうが結果が必ず良い。実に悲しむべきことではあるが、私が頭を使って励んだことで結果が良かったことなど皆無といってよい。だったらそんなボンクラ頭など使わず直感で行こう、というのは当たり前の話である。しかしその最中は、なんでそうしているか判らない場合が多い。それではまるで馬鹿みたいなので、初めから考えてそうした、という顔をしているのである。 踊りのシーンの撮影の時のことである。鎮守の森の神様の機嫌をそこねたかと三人が踊りを奉納するシーンである。さてもう一カット、という時に、出演者の一人がトイレから出てきた。手には縦に裂いたトイレットペーパーを持っているではないか。それをヒラヒラさせて踊ろうという訳である。なんてことを?!即採用!!
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