明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



学生の頃試験が近づいてくると、普段の怠け体質のおかげで毎回一夜漬けということになる。しかし教科書というものは特殊なインクや用紙を使用しているらしく、開いただけで眠くなってくる。そういうとき私は考えた。今日の私が寝てしまったら、明日の私は否が応でも勉強しないわけにいかない。必ずするはずだ。でないととんでもないことになる。だったら今日の私は明日の私に託して寝ることにしよう。 明日は高水圧によるベランダの洗浄がある。先日片付けたつもりが、それだけでなく、何も置いていない状態にしなくてはならないらしい。つまり今日の私は、昨日の私にベランダの片付けを託されてしまっている状態である。さてそうなると、仕事に集中してしまうか、何も今じゃなくてもよいことを始めるか。どうしてもこうなることは先日書いたとおりである。 さて今日は何をせずにおられなかったかというと、エレキギターの改造について考えてしまった。私はメカ音痴であり、特に電気が苦手である。なのに。いやだからこそ。 子供の頃、熱帯魚を飼っていて、ヒーターの漏電でなんどとなく感電して懲りている。初めてエレキギターが家に来た時、テープレコーダーをアンプ及びスピーカー代りにしたのだが、エレキギターなど信用できない。たまたま学校から帰ってきた妹に、「始めに触らしてやるよ」。ひどい兄である。 そもそも電気が目に見えないのが良くない。電圧など計測するテスターがあればよいのだ。ネットで検索する。これも以前書いたように、遠藤周作は『何かしなければならない時、他の事をせずにいられないのを怠け者という』といっているが、何かをしなかった代わりに、他の何かはしたということである(重要度はさておいて)。つまり掃除はしなかったが、そのかわり掃除していたら得られなかった電気についての知識が得られたわけである。その知識は『掃除が終わってからだって得られるではないか』。もちろん子供の頃から耳にタコである。しかし何も判ってない。掃除が終わってしまったら電気のことなどどうでも良いのである。もともと興味ないし。だいたいそんなことをいっていたら、私がブログに書くことがなくなってしまうではないか。 そして深夜の私は数時間後の早朝の私に色々託したのであった。

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