明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



江東区古石場文化センターに行き、音楽スタジオを予約する。ここには小津安二郎像を収蔵しても らっているし、顔見知りの職員の方もいて、受付で音楽スタジオですか?と意外な顔をされ少々恥 ずかしい。 区の施設なので料金は安い。トラックドライバーと3人で借りるはずが、1人は日曜しか休みが取れないので2人ということに。40人のコーラスが適当、という広さらしい。 Sさんは定価120万を100万で買ったというギターを所有しているが、音を出したことはないし、汚い手で触りたくないという。マニアにも色々だが、過酷な労働条件を聞くと、 弾いてる時間もなさそうだし、心の拠り所として神棚に、とい気持ちも判らないでもない。それにしても狭い部屋で鳴らすのをはばかれる大きなアンプは箱から出してもいないそうだし、時刻表眺めて旅に出た気分になるのも良いが、そうはいっても自分のギターの音を聴いてみたいのは当然であろ う。私同様、スタジオを使うのは始めてだそうだが、私と出会ったおかげで、ついに天岩戸を開けることができるというわけである。私にしても、8歳も若い彼が中学、高校時代の友人に見えてしまっている。  日ごろ60年代のラワン材を使っているような、ビザールな安ギターばかりの私に、真空管がどうの、 コンデンサーがどうの、ボディ材がどうの、と利いた風なことをいう彼であるが、近頃は仕事で重い荷物を持つので指が動かない、とか上手くはないですから、と予防線を張り始めている。 皆までい うな。人間をただ漫然と眺めているようでは、私のような仕事は成り立たないのである。いってるほどのことが腕に反映されていないことは先刻承知である。私の所有するギターに対し、ラワンって学校 で本箱作ったりしたあれでしょ?と薄笑いを浮かべる君に、にこやかに応じていられるのはそのためである。私と同じ、上達することなく死んでいくであろう男の匂いがするから君を選んだ。この歳になってギターが下手だ、などと馬鹿にされるなんてのはマッピラである。誰が上手い奴と2人っきりでスタジオ入るかい。

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